劇作家・平田オリザの「コミュニケーション」
に対するまなざしは、繊細でしなやかである。
平田オリザ著『わかりあえないことから』
(講談社現代新書)は、副題を「コミュニケー
ション能力とは何か」としている。
世の中で、あまりにも「コミュニケーション
能力」が叫ばれてきたことに対する、問題提起
である。
(1)「コミュニケーション能力」とは何か
平田オリザは、コミュニケーションに対して
繊細・しなやかで、しかし真剣な切り口で
疑問を投げかける。
例えば、企業の人事採用では「コミュニケー
ション能力」が求められてきている現状がある。
これに対して、即座に問い返す。
「では、御社の求めているコミュニケーション
能力とは何ですか?」
また、企業の管理職者が、若者たちのコミュニ
ケーション能力に嘆くことに対して、きりかえす。
「はたして本当にそうなのだろうか?」
劇作家である平田オリザからの問いかけは、
シンプルだけれど、重い。
ぼくが経験してきた国際協力の現場でも、
海外の企業においても、コミュニケーション
能力の大切さはとてもつもなく大きい。
しかし、コミュニケーション能力を叫ぶ
当の本人たちの「間」において、そこでいう
コミュニケーションの内実のズレがあったり
する。
だから、一段おとして、企業なり企業、
個人なり個人のレベルで、コミュニケーション
能力の内実を明晰に理解しておくことが求めら
れる。
(2)「ダブルバインド」にしばられる
平田オリザは、企業が求めるコミュニケー
ション能力に「ダブルバインド」(二重
拘束)が見られることを指摘する。
「ダブルバインド」とは、二つの矛盾する
コマンドが強制されていることであるという。
例えば、自主性のコマンドが発出されて
いるなかで、ある人が上司に相談する。
相談を拒否されるが、問題が起きると、
報告しなかったことに対して叱られる。
このようなダブルバインドのなかで、
社員たちは身動きがとれなくなっていく。
平田オリザは、日本社会に転じて語る。
いま、日本社会は、社会全体が、
「異文化理解能力」と、日本型の「同調
圧力」のダブルバインドにあっている。
平田オリザ著『わかりあえないことから』
(講談社現代新書)
(3)「わかりあえない」地点から。
平田オリザのまなざしは真剣だが、繊細な
地点からの視点だ。
題名にあるように「わかりあえないこと
から」という地点から、コミュニケーション
を語る。
わかりあえないなかで「わかりあう」こと。
しかし、平田オリザは、上記のダブルバインド
を必ずしも悪いこととはみていない。
私たちは、この中途半端さ、この宙づり
にされた気持ち、ダブルバインドから来る
「自分が自分でない感覚」と向きあわなけ
ればならない。
わかりあえないというところから歩き
だそう。
平田オリザ著『わかりあえないことから』
(講談社現代新書)
そう、
わかりあえないというところから
ぼくは、歩きだし、歩きつづける。
そうすることで、言葉は、「わかりあう」
メディアとなり、そして、まれに、
それは言葉をこえる言葉となるのだ。