「天気がいい/悪い」と、言わないように。 - 自分の中に「地球」を描く。 / by Jun Nakajima

「天気がいい/天気が悪い」と、言わない
こと。
ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、
身についた価値観と感覚を入れ替えること
は容易ではない。
ここ香港で、ついつい、晴天を待ち望んで
しまう。
気象庁に相当する「香港天文台」も、来週
頭から「天気は回復する(improving)」
と天気予報をつげている。週末は天気が
悪くなる。

天気がいい/悪いという分岐線は、
・晴天がよいこと
・雨天は悪いこと
という価値観を前提にしている。

世界の色々な国・地域を旅し、住み、移動
していくと、雲や雨の大切さが身にしみて
くる。

途上国で仕事をしているときは、
雨がもたらす「水」の有り難さにふれる。
日々の生活につかう水から、農作物が
育つための水。
シエラレオネの井戸水は、雨水が地層に
しみこんで濾過された水である。
東ティモールのコーヒーの木たちが、
コーヒーの実をむすぶために雨の役割は
大きい。
雨がふらないと、水不足で、コーヒーの
精製はもとより、生活水にもこまる。
マレーシアのクアラルンプールでは、
雨がふらないため、断水の時期がある。
ぼくは都会での生活にもどると、水の
大切さ、雨の有り難みがうすれてしまう。

人類は「自然から自立すること」で
文明と近代・現代を築いてきた。
そして「都市生活」が全域化してきたのが
近代であり現代である。
人類は、自然から自立し、しかし
同時に自然が疎遠になり、自然から疎外
される。

「水道」というツール・道具は、
自然からの自立を可能にしてくれた。
しかし、水道水を「当たり前」として
享受する人たちは、水は道具でしかなく
水という自然から疎外される。

現代とこれからの「いまだ名づけられない
時代」は、この自然からの疎外という
関係性を変えていく時代である。

宇宙を舞台にする数々の映画がつくられて
いる。
クリストファー・ノーラン監督の映画
『Interstellar』、マット・デーモン主演
の映画『The Martian』などなど。
それらの映像がぼくたちに感じさせてくれ
るのは、宇宙や他の惑星という視点から
折り返される「地球の美しさ」である。

地球の美しさには、晴天も雨天も、すべて
が内包されている。

宇宙という視点から折り返される「地球」。
世界の様々な国・地域に、様々な仕方で
住む人たちが織りなす「地球」。
ぼくは、そのような風景と感覚を、
自分の経験を媒介にして、自分の中に
とりこんでいく。
イマジネーションを働かせ、自分の内奥に
美しい地球を描いていく。

そのようにして
「天気がいい/悪い」という言い方、
そしてその言い方を支える前提と価値観を
少しずつだけれど解体し、新たな「何か」
を自分の中で生成させていく。

人間の「外部の自然」との関係は、
人間の「内部の自然」(人間の心やマイ
ンド)と、確かにつながっているのだから。