社会学者「見田宗介=真木悠介」先生
による「講義」を、これまで一度だけ
聴講したことがある。
正確には、二コマの講義である。
2001年3月24日、朝日カルチャー
センターでの、連続する二コマの講義を、
ぼくは聴講したのだ。
当時講義を聴きながらとった自分のメモ
を、ぼくは、今でもとってある。
題目は、それぞれ、次のようであった。
・見田宗介『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』
・真木悠介『自我という夢』
ぼくが「見田宗介=真木悠介」の著作に
出会ったのが、香港が中国に返還された
1997年から1998年あたりであったから、
ぼくが講義を聴講したときは、
本との出会いから数年が経っていた。
2001年、ぼくは、大学院で、「途上国の
開発・発展」と「国際協力」を学んでいた
ころだ。
見田宗介=真木悠介の仕事としては、
当時は、『現代社会の理論』(岩波新書)
が1996年に出版された後の時期にあたる。
見田宗介=真木悠介が、自身にとって
「ほんとうに切実な問題」であった、
・死とニヒリズムの問題系
・愛とエゴイズムの問題系
に、展望を手にいれた後の時期で、
ようやく「現代社会」に照準していた
時期である。
二コマの講義は、ぼくにとって、
「圧巻」としか言いようのないもので
あった。
講義の後も、「熱」のようなものが、
ぼくの中に残るような、圧倒的な講義で
あった。
講義の「内容」から、もちろん、
多くのことを学んだ。
「多く」という言葉では語りきれない
ほど、学んだ。
ぼくが自分でとったメモを見ている
だけでも、そこには今でも考えさせら
れることが、いっぱいにつまっている。
「学ぶこと」は、内容だけではない。
ぼくは、「見田宗介=真木悠介」先生の
講義の作法を、「体験」として身体的に
学ぶことができたことを、今になって
思い、考えている。
1)「交響圏」
講義の聴講者の数は、学校の一クラス
程度であったかと思う。
驚いたのは、
見田宗介先生は、講義の始まりの時間
に到着しなかったことである。
スタッフの方は、こうアナウンスする。
「知っている方もいらっしゃると思い
ますが…」と前置きしながら、
「見田先生は30分以内には来られると
思いますので。」と。
それと同時に、「知っている方」で
あろう方の幾人かが、小さく笑い声を
あげる。
なお、会場には、「賢治の学校」という
自由学校を始めた今は亡き鳥山敏子先生
もおられた記憶がある。
メキシコの(時間に)緩やかな生活から
「時計化された身体」といった「狂気と
しての近代」を考察し、後に『時間の比較
社会学』を著した見田宗介=真木悠介先生
は、身をもって実践し、何かを伝えようと
しているように、ぼくには感じられた。
会場にすでに座っている聴講者の人たち
も、特に気にするわけではない様子で
あった。
見田宗介先生が到着し、
「今回のテーマ設定の背景」を話す。
「『テーマ』(what)ではなく
『どういう人たちと関わってみたいか』
(with whom)ということ。」
見田宗介先生が講義に遅れても、
それを気にしない「集まり」に、
「今回のテーマ」が賭けられていたのだ
ということを、ぼくは感じる。
それは見田宗介の理論のひとつ、
「交響圏」のひとつの形態のような
ものである。
会場から湧き上がった「小さな笑い声」
は、見田宗介が「関わってみたい人たち」
の象徴のように、ぼくの中で響いている。
2)「夢中・熱中」の連鎖
「見田宗介=真木悠介」先生の講義は、
内容も展開も圧巻であった。
言葉は、深い。
一語一語が、濃く、深い。
そして、それら、立ち止まって考えたい
一語一語の言葉が、とめどなく発せられる。
とめどなく発せられながら、どんどんと
展開していく。
そして何よりも、
「見田宗介=真木悠介」先生ご自身が
熱中している。
夢中になって、黒板に書き話し、それを
見ながら考え話している。
ぼくはその「姿」に圧倒され、感動した。
昨年2016年に発刊された『現代思想』
(青土社)の総特集「見田宗介=真木
悠介」のインタビューで、そのことを
思い出した。
聞き手から「見田ゼミ」のスタイルに
ついて聞かれる中で、見田宗介は、
こう応えている。
…ぼくは「教育」ということをほとんど
考えないで、その時々に自分が熱中して
いる研究を、そのままストレートに講義
でもゼミでもぶつけていました。
…教える側が自分自身の全身のノリで
ノリノリに乗っていることをそのまま
ストレートにぶつけることが、結局一番
深いところから触発する力をもつのだと、
ぼくは思っています。
『現代思想』2016年1月臨時増刊号
(青土社)
見田宗介は、このスタイルを、自身の
学生時代の経験(金子武蔵の精神史の
講義)から学んでいる。
見田宗介が経験から取り出したのは、
大学の授業というのは、
「技術」ではなく「内容」である、
ということだけれど、
ぼくが学んだのは、内容から生まれ
内容を貫いていく、夢中さ・熱中さで
あった。
夢中と熱中は、連鎖していく力をもつ
のだ。
3)書きながら話し考えるスタイル
講義は、上述のように、
黒板に、言葉がどんどんと書き出されて
いく。
そのスタイルは、
「書くこと、話すこと、考えること」が
一体になったようなものであった。
そして、「書くこと、話すこと、考える
こと」が、「夢中・熱中」に串刺しに
されている。
ぼくは後年、香港で人事労務のコンサル
タントとしてコンサルテーションをする
際に、このようなスタイルを身につけて
いっていることを感じた。
今思えば、そのスタイルの「種」のよう
なものが、「見田宗介=真木悠介」先生
の講義で、ぼくの中に蒔かれたのだと、
ぼくは思う。