ぼくと「見田宗介=真木悠介」 / by Jun Nakajima

人生を変えた書籍は?と聞かれるならば、ぼくは迷わず「見田宗介=真木悠介」(社会学者)の著作を挙げる。

時代と社会と人生に対してキリキリとし冷めた感情を抱いていた大学生のとき、ぼくは、真木悠介『気流の鳴る音』に出会う。今となっては、どの著作が最初の出会いであったかは定かではない。だけれど、『気流の鳴る音』を読みながら、ぼくの視界に(字義通り)光がさしていくのを、新宿駅の埼京線プラットフォームに向けて階段を上がりながら感じていたことを、ぼくは20年経った今でも覚えている。

『気流の鳴る音』との出会いからは、「見田宗介=真木悠介」の著作を、片っ端から探して、買い求め、何度も何度も読み返してきた。彼の文章は「難解」である。それは複雑さから「難解」なのではない。思考の深さに初めて降りていくときの「難解さ」である。だから、ぼくは、身体に染み込むまで、著作を読み返した。そこに、きっと、「何か」があると、確信していたから。

大学を卒業し、大学院で「途上国の開発学」を学んでいたときも、そして開発学の実践として紛争地でNGO職員として仕事をしていたときも、ぼくの横には、いつも「見田宗介=真木悠介」の著作があった。

くたくたになって帰宅する日、「見田宗介=真木悠介」の文章は、ぼくの身体を癒してくれる。どんなに疲れている日でも、「見田宗介=真木悠介」の文章世界に、ぼくはそっと入っていくことができる。

 

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