世界で仕事をしていく中で、
また、情報が氾濫する世界で、
「論理・ロジック」はとても大切である。
それが、すべてではないけれど、
「論理・ロジック」は、徹底的に
身につけておくべきものである。
多くの人たちとコミュニケーションを
とってきた中で、ぼくが感じるのは、
「論理・ロジック」を本当に身につけて
いる人はそんなに多くないということだ。
ぼくが「論理・ロジック」を学んできた
方法を、ぼくの(まったくの)個人史から
共有したい。
ひとつでも、ヒントになればよいと思う。
(1)「論文」の書き方を学ぶ
ぼくが、「論理・ロジック」を最初に
学んだのは、大学のゼミであった。
大学3年・4年と「国際関係論」のゼミ
で、Peter B. Oblas先生のもとで、
ぼくは「論文の書き方」を学んだ。
論文の書き方に関する英語書籍を、
ゼミ生で読み進めながら、
参考文献の探し方、ノートの取り方、
英語論文の書き方まで、学んでいった。
大学4年が終わるときに、ぼくは、
卒業論文を英語で書き上げた。
もちろん、「論」を展開しながら。
この経験は、ぼくが今まで大学で提出して
きた「論文」は、「論文」ではなかった
ことを教えてくれた。
ただの「感想文」をぼくは書いていた。
「英語論文」の世界では、論・ロジックは
とても大切である。
英語で書いたことが、さまざまな視界を
ひらき、さまざまなことを教えてくれた。
知識を超える学びであった。
Oblas先生から、「論の芽」が出てきた
ようなことを、卒論のコメントとして
直接いただいたことをぼくは覚えている。
(2)本との出会い
大学3年・4年時には、
Peter B. Oblas先生との出会いに加え
さまざまな書籍との出会いがあった。
何よりも、社会学者の見田宗介(真木
悠介)の書籍、『気流の鳴る音』
『時間の比較社会学』『自我の起原』
『現代社会の理論』『宮沢賢治』など
との出会いにより、
ぼくの「本の読み方」が変わった。
見田宗介の書く文章は、
要約が極めて難しいほどに削ぎ落とされ
理論が徹底している。
見田宗介の理論が、最初はまったく理解
できなかったぼくは何度も何度も読んだ。
字義通り、読み倒した。
見田宗介先生に、ぼくは、書籍を通して
論理・ロジック、そして理論を学んだ。
(3)大学院での「論文」
「論文の書き方」を学んで、
「何か」を掴んだぼくは「論・ロジック」
の面白さを得た。
そして、見田宗介の理論が、深いところ
で理解できるようになっていた。
それは世界が開かれていくような感触だ。
大学院では「論文」を書いた。
毎週のように提出する論文において、
「論・ロジック」を組み立てていった。
そして、論文を書くために、
徹底的に、他者の論文や書籍を読んだ。
そこで展開される「論理」に、
村上春樹が翻訳をするときのように、
「論理」の中にすっぽりと身を投じた。
修士論文は、その集大成として、書いて
いった。
個別の論文で論を立て、
個別の論文が最後につながる形で、
修士論文ができたのだ。
(4)仕事の世界で。
国際NGOで働きはじめてからも、
「論理・ロジック」は極めて大切であった。
仕事の実務・現場の世界でも、それは
変わらない。
西アフリカのシエラレオネでは、
国連や現地政府を相手に、論を立てて
コミュニケーションをとらなければなら
なかった。
東ティモールでも同じことだ。
国際協力機構とのやりとり、様々な
報告書、政府でのプレゼンテーション、
などなど。
香港での人事労務コンサルテーション
では、もちろんのことである。
コンサルテーションは、まずは
ロジック勝負である。
とにかく、使い倒しながら、学んで
いった。
完璧は目指さずに。
これらは、ぼくのまったくの個人史である。
今も、日々、論理・ロジックを学んでいる。
現代という時代の過渡期で、
また情報化社会が進化していくなかで、
これからの世界をひらくために
「論理・ロジック」を、
徹底的に身につけておきたい。
くりかえすけれど、徹底的に。
追伸:
写真は、ぼくが、世界どこで暮らすとき
にももっていく、見田宗介先生の著作
の一部です。
ぼくの人生の旅の「同伴者」です。