香港と日本の「距離」について。- 普段の日常における「日本の事物」の<溶けこみ具合>から。 / by Jun Nakajima

香港と日本との「距離」ということを考えることがあります。

「物理的な距離」ということではなく(それは飛行時間で4時間ほどの距離なのだけれど)、あるいは「人と人との距離」のようなことでもなくて、日本の事物が、ここ香港にどの程度に溶けこんでいるのか、という<距離>のことです(物理的な距離と人と人との距離が、いくぶんか、日本の事物の溶けこみ具合に影響してはいるのですが、それはさておき。)。

「日本の事物」は、中国本土でつくられるメイド・イン・チャイナなども含めて、ゆるやかな事物としておきます。

そんなふうにして、ぼくを中心として半径数キロ内に範囲を照準すると、「日本の事物」がいっぱいにあふれています。

このことは香港に10年以上住んでいると「ふつう」のことになってしまったのですが、少しでも客観的に見れば、やはり「ふつう」のことではないように思うわけです。


近くのショッピングモールに向かい、コンビニエンスストアに入ると、そこはすでに「日本の事物」であふれているのがわかります。

日本の「お菓子類」、それから日本の一部「雑誌」(ファッション雑誌)も、若干値段は高くなりますが、そこで難なく手に入れることができます。

お菓子類は、ポテトチップスやチョコレート、ポッキー、のど飴などなど、ありとあらゆるものが並んでいます。

インスタントラーメン類もあって、とりわけ香港では欠かすことのできない出前一丁が並んでいます。

そのような商品と共に、日本の漫画などの「キャラクター」が目に入ってきます。

場所や時期によりますが、ドラえもん、キティちゃん、ちびまる子ちゃんなどなど、代わる代わる、キャラクターたちが店舗や商品を彩ることになります。

この様相が、一軒のコンビニエンスストアのなかにひろがっています。


コンビニエンスストアを出て歩いてゆくと、日系の「パン屋」さんがあります。

日本に住んでいたころに食べていたパン、さらには子供のころに食べていたようなパンまで、揃っています。

店舗によってはケーキもあり、ケーキが日本直送であったりします。


ショッピングモールを歩くと、「お菓子屋」さんがあります。

お菓子が店内所狭しと並んでいるのですが、日本のポテトチップスやチョコレート、駄菓子、さらにはインスタントラーメンやレトルトカレーなどの食材でいっぱいです。

駄菓子は、あの「うまい棒」だってあるから、はじめて見ると、やはりびっくりします。


それから、大きなスーパーマーケットに行くと、お菓子や上記の食材などに加えて、日本からの野菜やフルーツが並んでいます。

いちごやりんごもあるし、今なら柿だってあります。

ぼくの生まれ故郷である「浜松」や「静岡」のものも、ごくごくふつうに並んでいるのは、うれしいのと同時に、やはり不思議な気持ちがします。

野菜やフルーツに加えて、さらに、卵や納豆、ヨーグルトやチーズ、日本のお米、うどんなど、一通り揃っています。

このあたりの品揃えは、この10年ほどでより充実してきたようにも思います。

念のため、これらのスーパーマーケットは、日系のスーパーマーケットではなく、香港系のスーパーマーケットです。

いやはやどなたが買うんだろう、と思って、レジの前で並んでいると、日本の卵を手にしている方が目の前にいらっしゃったこともありました。


スーパーマーケットを出て、歩くと、今度は、日系のレストランが現れます。

以前別のブログで書きましたが、例えば、吉野家があり、いつも人でいっぱいです。

日系ではなくても、日本食、例えば、お寿司屋さんなどがあって、こちらも、いつも人がいっぱい並んでいます。

香港のフードチェーンのお店に入っても、そこに、日本のカレーやとんかつやらの日本食が、メニューに堂々とポジションを獲得しているのを見たりすることもできます。


それから、日系のヘアカット専門店、クリーニング店なども視界にはいってくることになります。

香港系のドラッグストア(薬局)に立ち寄ると、日本のブランドの製品が、あれもこれもと、あちこちに並んでいるのを見ます。

衣類だって、ユニクロにはじまり、さまざまなものが徒歩圏内で、辿りつくことができます。

こんなふうに、延々と、「日本の事物」が、香港の日常のなかに溶けこんでいます。

街を行き来する自動車や工事現場の重機、エレベータやエスカレーターなどの施設、エアコンなどの電化製品などを含めていけば、さらに、香港における「日本の事物」のマップは、密度とひろがりをみせることになりますが、ひとまず、この辺でとめておきます。


思い起こせば、ぼくがほかに住んだ国々、ニュージーランドでも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、「日本の事物」は、もちろん、それほど日常に溶けこんでいません。

「それほど…」というのは、これらの場所では、日本の自動車や重機や電化製品などは見られるからです。

でも、「香港における日常生活」の視野から見渡すと、上で長々と書いたような、食べ物や日用品などが、これらの場所では、すっぽりと抜け落ちることになります(東ティモールの(数少ない)スーパーマーケットにも、なんと「納豆」があったのですが、それは冷凍された納豆でした)。

この「すっぽり」度が、そのまま、香港における「日本の事物」の溶けこみ具合であり、その溶けこみ具合のはるかなひろがりと深さを、感じざるをえないことになります。


だから何?、と言われるかもしれませんが、この「溶けこみ具合」は、香港で実際に生活してゆくなかでしか、見えてこないことだから、書いています。

貿易にかんする統計値を見ているだけでは、あるいは旅行や出張で訪れてコンビニエンスストアなどを訪れるだけでは、一部しかわからないのではないかと思うのです。

だから、10年以上を香港に住んできて、その溶けこみ具合の一端を書いておこうと思ったわけです。

でも、書きはじめて思ったのですが、日々の生活においてなんとなく知っている/感じている以上に、日本の事物が香港に日常に溶けこんでいて、それは列挙しきれないほどであるのです。