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by Jun Nakajima
- Consultant, Researcher & Social Pioneer
🤳 by Jun Nakajima
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by Jun Nakajima
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🤳 by Jun Nakajima
「人生100年時代」という認識をひろめてゆくきっかけをつくった経済学者リンダ・グラットンが、その契機となった本を出版したのち、次にとりかかった仕事のなかで使っている用語、「Social Pioneer」(社会的パイオニア、生き方の開拓者)。
社会学者の見田宗介(筆名:真木悠介)。
「学者」だからといって通りすぎないでほしい、「社会学」だから関係ないやと通りすぎないでほしい、じぶんは「文系」ではないからと通りすぎないでほしい。ぼくはそう願います。
見田宗介の「切実な問題」は、<人間の解放>です。
だから、「学者」や「社会学」や「文系」などという看板をまえにして、立ち去らないでほしいとぼくはおもいます。
これからの生きかた」とはどんな生きかたなのか?そう尋ねられるとすれば、ぼくはこう応える(「答える」ではない)。<自由な生きかた>である、と。生き型にしろ、生き方にしろ、<自由な生きかた>であると、ぼくはおもう。
外国語を学ぶときの「学び方」について書かれた書籍のひとつに、Gabriel Wyner『Fluent Forever』Harmony Books, 2014(邦訳は、ガブリエル・ワイナー『脳が認める外国語勉強法』ダイヤモンド社、2018年)がある。原著の副題は「How to Learn Any Language Fast and Never Forget It」(速く言語を学び、決して忘れない方法)。
村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。
真木悠介(見田宗介)の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)のなかに、野本三吉さんという魅力的な人物がとりあげられている。『気流の鳴る音』が発刊されたときから約40年後、真木悠介というペンネームではなく、本名である見田宗介の名で書かれた『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書、2018年)のなかで、ふたたび、野本三吉さんがとりあげられる。
最近ぼくはクラシック音楽をよく聴いている。音楽全般が好きではあるのだけれど、とりわけクラシック音楽を聴く。新型コロナの世界に生きるなかで、クラシック音楽がぼくの心奥に響くようだ。
今年2020年1月から新型コロナの情況をくぐりぬけてゆくなかで、新型コロナ自体への対応・対策をさまざまに施しながら、やはり「コロナ後」のことを考えてしまう。もちろん「この」新型コロナがおさまったあとの「コロナ後」もそうだけれど、もっとずっと先、数十年後、あるいは100年後といった時間軸のなかで、「コロナ後」の「後」の世界のことを考えてしまう。
昨日(3月8日)は「国際女性デー」であった。女性の平等な社会参加などがどこまで進展したか、どこに制約や障害があるのか、ということをかんがえる。
昨年(2019年)、ぼくは「フレキシタリアン(Flexitarian)」になった。「フレキシタリアン」と聞いて、なんのことかおわかりだろうか?
昨年(2019年)日本に一時帰国する際に楽しみにしていたことのひとつに、美術館に行くことがあった。日本の美術館や美術展は数が多く、また見応えのある作品に出逢うことができる。
スティーブン・フォスター(Setphen Foster)。この名前を聞いて、この人物のことが思い浮かぶひとは、学校の授業でありとあらゆることを吸収していたか、名前を覚えるのが得意か、あるいは音楽史へと足をふみいれてきたか、いずれにしろ、自身でつくりあげる世界の体系のなかに「アメリカ音楽(史)」が組み込まれているひとたちだ。
ぼくのブログのなかでよく読まれているブログに「民謡「Row, Row, Row Your Boat」の人生観・世界観。- シンプルかつ凝縮された歌詞。」があります。2018年の9月に書いた文章ですが、2020年になったいまも、よく読まれているようです。
ここのところ「植物」に惹かれている。ぼく自身の生活において、「フレキシタリアン(flexitarian)」、つまり準菜食主義者となったことも、どこかで関連しているのかもしれないし、生きることの全体性において「動く」ということだけでなく「静」というあり方をとりこもうとしてきたことも、どこかでつながっているかもしれない。
批評家の加藤典洋(1948-2019)の「乱暴な要約」に触発されて、1919年に創始された森田療法(神経症に対する精神療法)を学んでみたくなり、創始者である森田正馬(まさたけ)(1874-1938)の「ことば」にふれる。