未来が現在に「意味」を与える生。- 作曲家チャイコフスキーのことば。 / by Jun Nakajima

 未来は、生きることの現在に「意味」を与える。いまの勉強や仕事は、将来の「~のため」というように。このような「意味」によってひとの生は支えられ、充実を得ることがある。そしてじっさいに「未来/将来」が生に果実を与え、「意味」が現実化する。けれども、いま、この「未来/将来」が必ずしも果実をもたらさない。そんな時代にいる。

 見田宗介先生(社会学者)は、ここに「現代」という時代の「二重の疎外」を明晰に見ている。

 …「近代」の最終のステージとしての「現代」の特質は、人びとが未来を失ったということにあった。…未来へ未来へとリアリティの根拠を先送りしてきた人間は、初めてその生のリアリティの空疎に気付く。…第一に<未来への疎外>が存在し、この上に<未来からの疎外>が重なる。この疎外の二重性として、現代における生のリアリティの解体は把握することができる。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 現代における生のリアリティの解体はさまざまな局面において見られる。そんなときにあって、「これからの<生きかた>」は、この疎外の二重性を乗り越えてゆくことを、その核心においてゆく。

 「未来を失う」(未来からの疎外)ということにおいて、その前提となる<未来への疎外>自体を変容させてゆく生きかた。つまり、この<現在の生>を取り戻してゆくことを核心とするのである。

 作曲家チャイコフスキー(1840-1893)の伝記とレターが収められた本『The Life & Letters of Peter Ilich Tchaikovsky』(Modeste Tchaikovsky, translated by Rosa Newmarch, 1907)のはじめに、チャイコフスキーのレターから抜粋されたことばがおかれている。

 “To regret the past, to hope in the future, and never to be satisfied with the present - this is my life.” - P. Tchaikovsky (Extract from a letter) 

 「過去を悔い、未来に希望をもち、現在に決して満足しない。これがわたしの人生だ。」そう、チャイコフスキーは書く。この焦燥のようなものが作曲へのちからを生みだしたのかもしれないけれど、ここには現在の生に満足せず、未来へ未来へと向かう生が語られている。

 チャイコフスキーは精神の病を患ったが、彼の精神はじっさいにどのような困難を抱えていたのか。そこにはどのような「人生の物語」が流れていたのか。そんな彼の「音楽」はどのように彼とともに在ったのか。ぼくはこの大著を読みながら、<未来へ疎外>された精神と生に寄り添おうとする。