「人生100年時代」の地平。
「人生100年時代」。Lynda GrattonとAndrew Scottによる著書『The 100-Year Life: Living and Working in the Age of Longevity』(邦訳『Life Shiftー100年時代の人生戦略』)によって、いっそう「問題・課題」が明るみに出された、時代をつかむキーワードです。この本は初版が2016年、日本ではそれからの数年のうちに、さまざまな仕方で話題にのぼり、語られ、議論されてきたものです。でも、(一部の人たちのなかで)語られ議論されてきたにもかかわらず、この「現実」を生きかたに反映させている人たちはまだ少数派ではないかと、ぼくは想像します。
もちろん、「現実」にはすでに「人生100年(的人生)」を生きる人たちがたくさん存在するわけですが、「人生100年時代」の地平は、生きることの全体にひろがるもので、<生きかた>に大きな影響をおよぼすものです。すぐさま挙げられるのは「定年」という制度、あるいは定年をみこした生きかたが生きられてきたことです。「人生100年時代」では「定年」ということは根本から更新されなければなりません。ぼくじしんは「定年」ということを捨てて、生きているあいだはなんらかの仕方で働きつづける、ということを想定しています。この「定年を捨てる」ということだけでも、ぼくたちの生きかたは根柢的な変容を求められます(もちろん生きかただけでなく、会社も、社会も、教育も、それらのさまざまな制度も根柢的な変容を求められます)。
だから、「じぶん」という生の時間軸を「100年」というように伸ばしてみる。そこから、じぶんの<生きかた>がどのように照らされるのか、ということです。
ときどき聞くのは「じぶんは100年も生きないから…」という言明です。つまり、人生は「太く短く」という生きかたです。ぼくはそのことを否定するわけではありませんし、「人生100年」と立ててみたところで、人生はやはりどうなるかわからないものです。でも、「どうなるかわからない」から面白いのだと思います。
なにも、ぼくは「人生100年」というように時間軸を伸ばしてみて「人生100年の計画」を立てようとするわけではありません。もちろん計画を立てたければ立ててもいいわけですが、これだけ時代が動いているときには、「長期的な計画」は果実をもたらすよりも「じぶん」の視野や可能性をとじこめてしまうものになりかねません。
むしろ、「人生100年」の地平がおしひらいてくれるのは、いま現在の<生きかた>です。いま現在の生きかたの閉塞性をやぶって、もっと違う生きかたがあるのだということを開示してしまう。仕事も、食べることも、健康も、ファッションも、それからじぶんが生きることの「物語」も、ときに根柢的な変容を求められるわけです。そこにこそ、「人生100年時代の地平」のちからが発揮されます。
そこには、やはり「想像力」が要求されます。これまでの「教育ー仕事ー定年」という3段階人生が絶対的なものではなくなるため、そのレールに依存することはできず、自らが「じぶんの物語」(=生きかた)を創造してゆくことになるからです。そのような生きかたは、「計画があってひとつひとつこなしてゆく」というのではなく、「何もないところにひとつひとつ創ってゆく」という根本的な変容をせまります。
ところで、リンダ・グラットンはこれから個人がもつべきちからとして、<変身する力>を提示しています。英語では「transformation」。「じぶんの変容」とぼくがいう「変容」を英語に翻訳するのであれば、やはり「transformation」です。変身力です。ヒーローたちがつかのまの変身をとげるというよりも、蝶が羽をひろげ自由に飛び立つ変身です。
というところで、このサイトのコンセプトにおける最初のサブテーマである、「じぶんの変容」ということに戻ってきます。