人であるということは、「物語」をもっているということでもある。
人は、だれもが、「物語」を生きている。
そして、人は、その生において、「物語性」の外部に出ることはない。
どのような「物語」を生きていくか、ということに、ぼくたちの生の本質はある。
すでに「物語・物語性」は、人や組織や社会において、いっそう重要なものとして取り上げられる場面が増えてきている。
ぼくもいろいろと文献などをさぐっている。
『The Storytelling Animal: How Stories Make Us Human』(Jonathan Gottschall著, Mariner Books)という面白いタイトルの本がある。
「物語を語る動物」としての人を、生物学、心理学、脳科学の知見から読み解いていく試みである。
また、橋本陽介『物語論:基礎と応用』(講談社)においては、フランス構造主義の物語論を中心に「物語」が中心にそえられている。
心理学者からの「ライフストーリー論」としては、Dan P. McAdamsの理論展開に、ぼくは耳をかたむけている。
河合隼雄の「物語論」も、心理学・臨床心理などさまざまな視点にきりこみ、深い議論を展開している。
「年末年始」という時期には、人や組織や社会の「物語」の一端が語られるときでもある。
「振り返り」という、ひとつの物語。
「目標」という、ひとつの物語。
「予想・予測」という、これも物語。
世界は「物語」に充ちている。
ぼくたちは、忙しさや困難さのただなかで、「点(dot)」に集注する。
ときには、一歩も二歩も後ろにさがってみて、スティーブ・ジョブズが語ったように「connecting dots」をしてみる。
そこに、これまで生きてきた・働いてきた・学んできたことの「物語」が見えてくることがある。
物語は、困難や挑戦、失敗などに「意味・意義」をふきこんでくれる。
そしてそのような間隙から、「新しい物語」の息吹が聞こえ、萌芽を見るかもしれない。
これらの「物語」を、どのように描き、どのように生きていくかという問いを、ぼくたちの生の全体はぼくたちに日々問いかけている。