ぼくが、クラシック音楽を聴くように
なったのは、日本の外で、仕事をする
ようになってからだ。
正確には歓びをもってクラシック音楽
を聴くようになったことである。
西アフリカのシエラレオネでの仕事を
していた頃が、ぼくの記憶と感覚の中
では、ひとつの「分水嶺」のような
時期であった。
紛争が終結したばかりのシエラレオネ
での経験と、ぼくがクラシック音楽を
聴くようになったことは、
決して、ばらばらに起こったことでは
ないと、ぼくは思っている。
(ブログ「紛争とクラシック音楽」)
クラシック音楽の美しい調べの深い
地層には、人の悲しみや心の痛みが
堆積している。
シエラレオネで、紛争の傷跡を身体で
感じ、東ティモールの銃撃戦の只中に
身を置いた後に、ぼくは香港に移って
きた。
香港で、村上春樹著『意味がなければ
スイングはない』(文藝春秋)を読む。
村上春樹が、音楽のことを「腰を据え
てじっくり書い」た本である。
ジャズ、クラシック、ロックとジャンル
を超えて、主に取り上げられた人物は
次の通りである。
・シダー・ウオルトン
・ブライアン・ウィルソン
・シューベルト
・スタン・ゲッツ
・ブルース・スプリングスティーン
・ゼルキンとルービンシュタイン
・ウィントン・マルサリス
・スガシカオ
・フランシス・プーランク
・ウディー・ガスリー
とりわけ、ぼくに響いたのは、
なぜか、シューベルトであった。
シューベルトについて語られた章だけ、
「作品名」がタイトルにつけられていた。
「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850
シューベルトのピアノ・ソナタの中で、
村上春樹が「長いあいだ個人的にもっと
も愛好している作品」(前掲書)である。
…自慢するのではないが、このソナタは
とりわけ長く、けっこう退屈で、形式的
にもまとまりがなく、技術的な聴かせど
ころもほとんど見当たらない。いくつか
の構造的欠陥さえ見受けられる。…
村上春樹
『意味がなければスイングはない』
(文藝春秋)
ぼくはなぜか、(聴いてもいないのに)
この作品に惹かれた。
村上は、この曲を演奏するピアニストを
15名リストアップする。
そして、「現代の演奏」の中から素晴ら
しい演奏として、
ノルウェイのピアニストである、
Leif Ove Andsnesを挙げている。
村上の「迷いなしのお勧め」である。
ぼくは、まるで先生にしたがうように、
LeifのCDを購入し、彼の演奏を聴く。
村上がそうしたように、他の演奏家の
演奏ともできるかぎり比べながら。
でも、最後にはLeifの演奏に戻ってくる
のであった。
その後は、Leif Ove Andsnesのピアノ
ソナタD850を、ぼくはよく聴くように
なった。
疲れた日の夜遅くに、
あるいは空気が凛とする早朝に。
その内に、ぼくは、香港で
クラシック音楽を生演奏で聴く楽しみ
を見つけた。
一流の演奏家が香港を訪れるのだ。
日本に比べ、おそらく、チケットも
手にいれやすい。
2015年、香港。
ぼくは、Leif Ove Andsnesの演奏を
直接に聴く。
マーラー室内管弦楽団と共に演奏する
ベートーヴェンのピアノ協奏曲。
Leif Ove Andsnesは、
通常指揮者が立つ場所にピアノを置き、
管弦楽団の方向に向かって指揮をとり、
そして聴衆に背中と指の柔らかさを
見せながら、しなやかにピアノを演奏する。
自由で、親密な空気が流れてくる。
この「形式」にも驚かされたが、
Leifとマーラー室内管弦楽団がつくる
音楽に、ぼくは、文字通り、心を奪わ
れてしまった。
こんなに美しく、心の深いところまで
届くクラシック音楽を、ぼくは、それ
までの人生で聴いたことがなかった。
そして、その後も、まだ聴いていない。
この体験は、ぼくの心の中に、
暖かい記憶として静かに残っている。
村上春樹は、次のように、語っている。
思うのだけれど、クラシック音楽を
聴く喜びのひとつは、自分なりの
いくつかの名曲を持ち、自分なりの
何人かの名演奏家を持つことにある
のではないだろうか。それは場合に
よっては、世間の評価とは合致しない
かもしれない。でもそのような
「自分だけの引き出し」を持つことに
よって、その人の音楽世界は独自の
広がりを持ち、深みを持つように
なっていくはずだ。…
村上春樹
『意味がなければスイングはない』
(文藝春秋)
ぼくは、このことを、村上春樹から
教わった。
押し付けがましさのかけらも感じず、
まったく自発的に。
Leif Ove Andsnesの演奏する
シューベルトの「ピアノ・ソナタ
第十七番ニ長調」D850から、
Leif Ove Andsnesが香港で魅せて
くれたマーラー室内管弦楽団との
奇跡的な演奏へと続いていく、
「個人的体験」を通じて。
…僕らは結局のところ、血肉ある
個人的記憶を燃料として、世界を
生きている。もし記憶のぬくもり
というものがなかったとしたら、
…我々の人生はおそらく、耐え難
いまでに寒々しいものになって
いるはずだ。だからこそおそらく
僕らは恋をするのだし、ときと
して、まるで恋をするように音楽
を聴くのだ。
村上春樹
『意味がなければスイングはない』
(文藝春秋)
ぼくは、納得してしまうのである。
個人的体験の記憶のぬくもりを
燃料として、ぼくは、この世界で
生きていることを。