教師であり、後に「賢治の学校」を創設した、今は亡き鳥山敏子は、社会学者・真木悠介との対談の中で、「困った子供」との関係の経験を共有している。
「困った子供」は、万引きなどを繰り返す子供だ。
鳥山敏子は、この「困った子供」が夢中になれるような「授業」をつくることを企図する。
これまでの授業をこわし、新しい授業をつくる。
鳥山敏子が手にいれた方法のひとつは、「ものをつくりながら考える授業」であった。
彼女は、「社会科の授業を創る会」の実践から着想を得ていく。
「産業革命」を学ぶことにおいて、教科書的に学ぶのではなく、例えば機織りを実際にすること(機織り機の仕組みを考え、実際に機織り機をつくり、布を織る)を通じて学んでいく。
「人間の歴史」を学ぶことでは、実際に米をつくりながら、土や虫や肥料や水や気象、道具、稲刈り・脱穀・精米、生産力、濃厚、用水路などを考える。
それは、身体をつかって具体的に考えるという方法だ。
対談の文章からも、授業をつくっていく過程の鮮烈さが、伝わってくる。
…で、これがすごくおもしろかったわけ。授業はもう発見の連続で、おもしろくておもしろくてたまらないわけ。…つくったり、やってみたり、なってみるなかで、それなりにからだが感じたり考えたりしていることがあるでしょ。どの子もさ、実際にものをつくると、どのからだもその過程でいっぱい考えるんだよね。…
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』(太郎次郎社、1993年)
自分の考えを述べることが苦手な子供たちも、元気を得て、いきいきとしてくる。
そして、そのうちに、そのような子供たちも、「ことばだけの思考」(抽象的な思考)も楽しむようになる。
ぼくが学校に通っていた時期(1980年代)は、鳥山敏子が苦悩を乗り越えていた時期と重なる。
子供たちの「身体」が崩れてきていた時代だ。
ぼくは、鳥山敏子と真木悠介の対談を読みながら、また関連する書籍を読みながら、自分の子供時代をふりかえる。
ぼくにとっての「方法」は、大学時代に海外に出ていくことであった。
アジアを旅するなかで、ニュージランドで歩くなかで、ぼくは「身体」を取り戻しながら、「身体」で具体的に考えていった。
それが、後年「抽象的に考えること」を楽しむ土台にもなったのだと、ぼくは考える。
さて、鳥山敏子は、「ものをつくりながら考える授業」を展開するプロセスのなかで、次のような出来事に出会う。
そうやって夢中になって授業にとりくんでいたとき、はっと気がついたら、あの女の子が私の横でいっしょになって鉄を溶かすことにとりくんでいたのね。私が、この子困ったな、どうしようかな、と思っているときはさ、ぜんぜん関係がつくれなかったのに、すっかりそんなこと忘れて授業づくりに夢中になってたらさ、ふっと気がついたらその子が私のとなりにいて、一生懸命やっていた…。
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
あの「困った子」が、すーっと、(先生ではなく)人間としての鳥山敏子との距離をちぢめる瞬間だ。
鳥山敏子は、この経験から、こんな「気づき」を見つける。
…ああ、なんだ、人間っていうのは、気になって気になってしょうがないときってのはうまくいかないもんなんだなっていうかね。自分の世界があって、自分も楽しんでやっているときに、相手にも相手の世界をつくる余裕っていうか、安心して自分自身でいられる時間がもてて、おたがいがふっといっしょに歩めるっていうか、そんなもんだったんだなっていうふうに思ったの。…
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
ぼくは、この出来事に流れる「物語」と、そのエッセンスがとても好きだ。
それは、「自分の世界があって、自分も楽しんでやっているときに、相手にも相手の世界をつくる余裕…がもてて、おたがいがふっといっしょに歩める」という経験を、ぼくの心身で感じてきたからである。
学校だけでなく、仕事場でもそうであるし、家族もそうだったりする。
自分が生きられていないと、相手がふっといっしょに歩む余裕とリズムが持てない。
そんな「自分が生きられていないなかで、相手が気になって気になってしょうがない」ということを、ぼくは、いくどもいくどもしてきてしまったのだ。
インスピレーションに充ちた対談の終わりのところで、真木悠介は、鳥山敏子の「やっていることはなにか」と考え、語っている。
世間的な分類での「教育」や「授業」にそぐわないこと、「授業」からはみ出している部分があることを語りながら、そのような「できごとを、どういうことばで表したらいいか」を、鳥山敏子に尋ねる。
鳥山敏子は、こう応えている。
…なんか、さっきの真木さんが言っていた、ことばになっていくというか。…ことばとして言うとしたらね。創造することは、超えられながら超えることだって。
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
真木悠介が、対談のなかで、フランスの思想家であるバタイユの思想からひきだした「創られながら創ること」という創造の本質を語るとき、鳥山敏子は「あ、毎日、やっていることだな」と思ったという。
「自分の個性を表現する」という狭い創造ではなく、「創られながら」という、<自分>が壊れていく解体の契機を生きながら、ほんとうに創造していくことができる。
それは、映画監督・黒澤明の「作るっていうか、生まれるんですね」という言葉と、呼応している。
黒澤明も、作る過程で、この「創られながら」という、自分自身が創られるという深い体験をしていたはずである。
この体験は、バタイユや黒澤が語るような芸術作品に限らず、鳥山敏子が語るように「毎日のこと」として、生きていくことができる。
そして、<創られながら創ること>という、(解体されながら)「生まれる」という体験のうちに、ぼくたちの<感動>ということの本質もあると、ぼくは思う。