浦久俊彦著『138億年の音楽史』。- 「音楽とは何か」という問いを奏でる。 / by Jun Nakajima

浦久俊彦著『138億年の音楽史』(講談社現代新書)に、深く触発される。

この書のモチーフは、「音楽とは何か」ということに対する真摯な問いである。

浦久俊彦にとって「これからの一生をたったこれだけに費やしても悔いはない」と言う根源的な問いが、この書の通奏低音として鳴り響いている。

実際に書かれているのは、「音楽から見た世界ではなく、世界から見た音楽、世界にとっての音楽、そして世界としての音楽」である。

ジャズやクラシックやロックなどの「音楽」だけに思考を狭めるのではなく、世界のあらゆる<音楽>のことである。

だから、もちろん、「音楽」のジャンルも関係ない。

CDの棚の「B」に、ビートルズとベートーヴェンが並んでいるようなところに行ってみたいという浦久だが、ジャンルを信じず、音楽があまりにも「芸」になりすぎた時代のなかで、狭い檻に閉じ込められた「音楽」を、ひろい<音楽の時空間>に解き放つのが、本書である。

本書の音楽は、はじめに「音」があった、という「ビッグバンの音」からはじまる。

目次を見ても、その特異性は際立つ。
 

【目次】

はじめに
第一章 宇宙という音楽
第二章 神という音楽
第三章 政治という音楽
第四章 権力という音楽
第五章 感情という音楽
第六章 理性という音楽
第七章 芸術という音楽
第八章 大衆という音楽
第九章 自然という音楽
第十章 人間という音楽 
おわりに
参考文献

 

浦久俊彦は、作家・文化芸術プロデューサーであり、パリで音楽学・歴史社会学・哲学を学んでいる。

本書も、彼の真摯な姿勢と問いに支えられながら、自由に、<音楽>が語られている。

浦久俊彦が、「音楽とは何か」にどのように答えているかの全体と詳細は、実際に読んで確認してほしい。

ぼくとしては、その「答え」よりは(それも大切だけれど)、浦久俊彦がこの「広大な問い」に向かう文章とそのリズム、行間、さらには新書としては多い「参考文献リスト」に触発される。

個別に出てくる知見も、まだぼくのなかで、ダイジェストしきれていない。

そして何よりも、「音楽とは何か」という問いが奏でる響きに惹かれる。

「答え」よりも、その「問い」が導き手として開かれる世界が、もっと大切なのだ。


ところで、古代インドには「世界は音である」という世界観がある。

このような宇宙は波動であり音でできているという考え方は、素粒子物理学の「スーパーストリング理論」が科学的な論を展開しているという。

この理論のエッセンスは、世界中のあらゆる物質は粒子ではなく「振動体」であること。

つまり、この理論によると、世界は音でできている。

ぼくは「世界は音である」という考え方と感覚に惹かれる。

そんな風に、音や音楽を感じていたい。

本書では、これだけに限らず、まさに138億年を感じさせる音楽が奏でられている。

浦久俊彦は、本書の「はじめに」の最後のところで、「音楽とは何か」についての、彼なりの考え方をこう書いている。
 

 ぼくは、こう考える。音楽とは、音に「かたち」を与えるものだ、と。あえて解説はしない。どうか読み進めるうえで、このことばを頭の片隅に留めておいていただきたい。もしかすると、この本を読み終えたとき、まるでジグソーパズルの最後のピースがピタッと収まるように感じられるかもしれない。…

浦久俊彦著『138億年の音楽史』(講談社現代新書)
 

音楽とは、音に「かたち」を与えるもの。

これは本書への「誘い」の言葉であるけれども、それは、ぼくたちの生きる世界で音と音楽が奏でられる時空間への「誘い」の言葉でもある。

だから、頭の片隅に留めておきたい。

音に「かたち」を与えるものが音楽だ、と。