「日本」という<場>から物理的に離れていることによって、内面的にも、日本や日本的なるものから(ある程度は)「距離」をとることができるように思うことがある。
もちろん、物理的にどこまで行ったとしても(アフリカまで行ったとしても)、じぶんから「抜けない」思考や行動の様式があるのだけれど、それでも、物理的な距離や異文化環境が、日本や日本的なるものから、ある程度の距離をつくる手助けをしてくれることがある。
その「距離感」は、これまで近すぎて重苦しさを感じたり、避けてきたりしたものにたいして、そのような否定的な感情をいくぶんか取り除くか凍結させて、より理性的に、あるいは好奇心をもって向き合うことを可能にしてくれたりする。
ぼくにっとっては、日本の「伝統」というようなものも、そのように、距離をとることで好奇心がわくもののひとつだったりする。
「能」という日本の伝統芸能も、そんなふうにして少し距離をとって学ぶと、興味のつきないものである。
これまで、ぼくが’日本で「能」を観賞したのは、ほんとうにわずかである。
そんなぼくが、ここで「能」それ自体を詳細に書こうとは思わないけれど、「能」にまつわる、ぼくの「体験」について、その体験の「理由・機制(メカニズム)」について、面白い「解釈」を見つけたので、ここで触れておきたいと思う。
ぼくの体験と体験の理由だからといって、なにも「ぼく」だけの体験ではないだろうし、おそらく、きっと、結構な数の人たちが体験することだと、ぼくは勝手に推測する。
その体験とは、能などの伝統芸能を観ながら「眠りに落ちてしまう」という体験である。
この体験にたいする面白い「解釈」は、インタビューに応答する、能楽師安田登のことばの中に見られる(「650年の歴史を持つ「能」から、過去、現在、未来の「心」を探る」、Webサイト『mugendai』)。
日本史の授業でも習うように、能は、室町時代、観阿弥・世阿弥父子によって大成された芸能である。
「とてもわかりやすい」説明を安田登がしてくれているように、能は、「現在能」(この世に生きている人のみが登場)と「夢幻能」の二つに分けられている。
そのうち「夢幻能」は、「ワキ方」(旅の僧など)と主人公である「シテ方」(幽霊、神、精霊など)から構成されており、ワキ方は「脇」役ということではなく、あの世とこの世を「分く=境界」存在であるという。
安田登自身はワキ方として舞台に立ってきたのだが、面白いのは、能を始めたころの安田は、観客席の中に眠っているお客様を見つけては、それほど退屈な能を観に、なぜわざわざ足を運ぶのだろうと、疑問に思っていたのだということ。
「あくまでも推論ですが」と断りを入れながら、安田登は、能を観ながら「眠りに落ちてしまう」現象を、つぎのように「解釈」している。
…能舞台は、死者がこの世で果たせなかった思いを晴らしにくる場所として機能します。同席するお客様も、ワキ方としてその思いを受け止めているうちに、過去に葬った自分の姿も作中の死者と同様によみがえるのではないかと。そして、それがピークに達したときについ眠りに落ちてしまう(笑)。
人は成長する過程で、さまざまな痛みに出会い、なんとかそれを乗り越えて現在の自分を形づくるものです。誰もがたくさんの痛みを経験してきたわけですが、まだ消化できていない痛みには、ある意味フタをしながら生きている。自分の中に残っていたそういう思いが、能の舞台を観るのと並行して、無意識のうちに解放され昇華されるのではないかと想像しました。
この部分を読みながら、ぼくは感覚として「わかる」ような気がした。
もちろん、ぼくが「能」を観たのはほんとにわずかだから、「能」以外の経験も含めたうえでの、解釈の「読み取り」だと思う。
この解釈が正しい/正しくないという以前に、能を観ながら「眠りに落ちてしまう」ということを、能楽師の視点として、真正面から応えようとすることに、心を動かされる。
「能は退屈なんだな」という地点で思考を停止するのではなく、そこに心身の動きを感知するのだ。
ところで、ぼくが途中で眠くなった伝統芸能は「能」だけでなく、中国の京劇もそうであった。
ここ香港で観に行った京劇で、ぼくは途中で、すっかり眠りに落ちてしまった。
まさに「すっかり」という言葉のとおり、眠ってしまったのだ。
そのときはただ疲れていたのだとも思うけれど、京劇を観ながら「眠りに落ちてしまう」ことの推論・解釈を、どなたかされているだろうかと、ぼくは情報のアンテナをはる。