「先にはもう宇宙しかない」断崖の<折り返し>の場所(見田宗介)。- 地球からの視線と宇宙からの視線。 / by Jun Nakajima

NASA「InSight」による見事な火星着陸のトピックを起点として、「宇宙」にかんれんすることを書いてきた。


●ブログ(11月27日): 「火星」を起点に、現実として宇宙を視野に。- Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』。

●ブログ(11月28日):記憶に鮮烈にのこっている「星空」。- 東ティモールの山間部で見た「星空」。

●ブログ(11月29日):三木成夫「生命とリズム」のことばから。- 人間の原形と地球・宇宙のリズムの共振。


「宇宙」そのものにぼくは惹かれるのだけれど、宇宙に思いを馳せ、宇宙のことを考え書きながら、ぼくは同時に、「人間」のこと、この「地球」のことを考えている。

さしあたって「火星」は、SpaceXやNASA「InSight」の果敢な挑戦とともに、将来の「人間の移住」先としての興味もつきない。さらには、火星の「先」にひろがる宇宙空間、たとえば火星と木星の間にある小惑星帯には、鉱石資源があると言われ、宇宙ビジネスも本格化してきているという。人間が、「宇宙」を開拓してゆくことへの、まなざしである。

それから、「星空」のことについて書いた。いつも夜空を観ていたりするのだけれど、記憶に鮮烈にしるされた「星空」(記憶の表層にあらわれる「星空」)は、少なくともぼくにとっては、それほどあるものではなく、そんな鮮烈な記憶のひとつ、「東ティモール」の山間部レテフォホで観た「星空」の体験について、少しのことを書いた。人間が、天空にまなざす視線である。

さらに、解剖学者である三木成夫の研究と美しいことばによりながら、地球の生命たちが、その生命の原形において、宇宙のリズムと共振していることについて、かんたんに概観した。人間を含む生命たちと宇宙/太陽系とが<つながっている>ことへの、まなざしである。


「宇宙」について、人間は、まだほとんど何も知らないという状態であるのだと言うこともできるだろし、火星やその先を見据えながら、人間の「開拓」は進んでゆくのだけれど(それはワクワクすることでもあるのだけれど)、それと同時に、火星の状況などを知るようになって「つくづく感じる」のは、「地球」という惑星の美しさと、水があり森があり山がある(人間を含む生命たちにとっての)すばらしい環境である。

クリストファー・ノーラン監督の映画『Interstellar』、マット・デーモン主演の映画『The Martian』などを観たあとに感じる安堵感と心地よさは、宇宙や火星などを舞台にしながら、それらの状況や映像に反射するように映し出される「地球」の美しさと環境からくるものである。少なくとも、ぼくはそう思う。宇宙や他の惑星という視点から折り返される「地球」へのまなざしである。

現実的に、人間が「音を聴く」ということでさえ、いわゆる宇宙空間のただなかではかなわない。

このことについて、社会学者の見田宗介は、古代インドのコンセプトであり、ジャズの大御所ベーレント(Joachim-Ernst Berent)の著作『世界は音ーナーダ・ブラフマー』(人文書院)に触れながら、つぎのように書いている。


…わたしたちが、じっさいに音を聴くことができるのは、空気や水、大地などという、濃密で敏感な分子たちのひしめきの中だけである。<宇宙は音>というイメージは、わたしたちの意識を宇宙に解き放つとともに、また幾層もの<音>の呼び交わす、奇跡のように祝福された小さな惑星の、限定された空間と時間の内部に呼び戻しもする。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


宇宙に解き放たれながら、小さな惑星の内部に折り返してくるイメージ。この、いわば「宇宙から折り返す視線」を、見田宗介は人類の課題として、提示している。


 ダンテの時代に人びとの目はひたすら<天上>へと向けられていた。それは人類が、じっさいに天に昇ったことがなかったからである。今人類はじっさいに天に昇って、そこに天国はないことを見た。このとき人間を虚無から救うのは、宇宙飛行士が視線を折り返したときに見た<青い惑星>の美しさということだけである。
 地上こそ美しいのだと。
 「先にはもう宇宙しかない」断崖にまで来てしまった人類は、<折り返し>の場所に立っている。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


「人類はじっさいに天に昇って、そこに天国はないことを見た」あとに、それでも、「宇宙」という謎や夢に魅せられる人たちもいる(ぼくもひきつづき、魅せられれている)。宇宙の「開拓」へとつきすすんでゆく人たちもいる。

けれども、ぼくたちは、やはり「知っている」のだと思う。宇宙飛行士が視線を折り返したときに見た<青い惑星>のイメージを胸にしながら、「地上こそ美しい」のだということを。

宇宙へと解き放たれたのちに、宇宙から折り返す、まなざしである。

ここ香港で、窓の外にひろがる海と、海の表面をたわむれる陽射したちを見ながら、「先にはもう宇宙しかない」断崖の<折り返し>の場所のことを、ぼくは考えている。