人はなぜ塔をたてるのか。
辺見庸が2008年から2011年に書いた連載をひとつの本にした著書『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)のなかに収められている短い文章のタイトル(「人はなぜ塔をたてるのか その身、低くあれ」)だ。
もちろん、文章のタイトルでなくとも、だれもが問うことのできる、あるいはだれもが問うかもしれない問いだ。
実際に、この文章のなかでは、いくつかの病を経て身体を不自由にしつつある辺見庸にマッサージをほどこす中年のマッサージ師が、施術の途中に、この問いを辺見庸に問いかけるともなく、発した問いである。
マッサージ師の彼の話題は、いつもだしぬけだという。
「人ってどうしてばかたかい塔をたてがるんでしょうかね……」…「たかい塔を見ると、人はみんなのぼりたがるんですよね。わたしもそう。なんでですかね……」
辺見庸『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)
彼の「問い」と彼がのぼった塔の名前(エッフェル塔、東京タワー、台北101、ドバイの塔など)を耳にしながら、辺見庸は返事をせず、しかし、これまでにのぼった塔の数を、じぶんでもかぞえてみる。
読みながら、ぼくもこれまでにのぼった塔を思いだしてみる。東京タワー、マカオのタワー、それからクアラルンプールのツイン・タワー……。そう思いだしながら、ぼくはあまりのぼっていないことに気づく。
ここ香港の「Sky100」も行ったことはない。台北101はその下まで行って、結局上に上がらなかった。と思いながら、香港の高層ビルは、どこも、まるで「塔」のようだとも思う。「塔」にのぼらなくても、そうとは明確に意識しないまでも、ぼくは、いつも「塔」にのぼっているのかもしれないと思ったりもする。
辺見庸のマッサージをつづける彼は、言葉をつづける。「人って見上げたり見おろしたりが好きなんですかね……」と。そして、「低くちゃあどうしていけないんですかね」というつぶやきを、辺見庸はなぜか<低くあれ>と、じぶんの耳では聞いたように感じる。さらに、「人はなぜ塔をたてるのか」というタイトルを見た時にぼくがどこかで想像していたように、辺見庸も「バベルの塔」を思い浮かべる。
「人はなぜ塔をたてるのか」の「なぜ」には直接的に応答することなく、施術も、それから、この短い文章も閉じられる。辺見庸がなぜか聞いた<低くあれ>のこたえをのこして。
「人はなぜ塔をたてるのか」という問いから、<低くあれ>のこたえのあいだは大きな断絶のように見えるけれども、バベルの塔の寓意の深さとも共振する、辺見庸の思念と思想と想像が、問いと(一見すると飛躍した)こたえを架橋している。
ところで「塔」ではないけれども、真木悠介はマヤ族の残した「ピラミッド」にのぼり、どこまでもひろがる樹海と、樹海から突出する他のピラミッドを目にしながら、「ピラミッド」について、つぎのように記している。
…視界のつづくかぎり、ほぼ同じ高さの緑のジャングルの地をおおう中を、ピラミッドだけが突出している。それが人間に視界を与える。ピラミッドとはある種の疎外の表現ではなかったかという想念が頭をかすめる。幸福な部族はピラミッドなど作らなかったのではないか。テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように、巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれないと思う。
ピラミッドでなく、容赦のない文明の土砂のかなたに埋もれた感性や理性の次元を、発掘することができるだろうか。真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)
ピラミッドを、ある種の「達成」のように見るのではなく、反対に「疎外の表現」であったのではないかと、真木悠介の想念がとらえる。
辺見庸の上記の文章がぼくをとらえたのは、ぼくの心のなかに、真木悠介の、この「想念」が刻まれていたからだ。
辺見庸の<低くあれ>のこたえと、真木悠介の<巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれない>という想念は、文体も色調もまったく異なるけれど、二つの視線は重なるものだ。
真木悠介の想念はあくまでも想念であり、それが「正しい」という確証はどこにも示されていない。けれども、この箇所を読みながら、そしていろいろな遺跡をこれまで見てきたぼくの記憶をほりおこしながら、ぼくも同じように感じはじめるのであった。
ピラミッドや塔、また巨大な遺跡はある種の疎外の表現ではなかったか。幸福な部族はピラミッドのようなものは作らなかったのではないか。巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれない、と。