「他者との関係性」と「ゲーム」。- 「リアリティの飢え」の形成による「情報資本主義の無限運動」(見田宗介)。 / by Jun Nakajima


ぼくのメンターである方が教えてくれた、携帯アプリでのゲーム「旅かえる」。

小屋「おうち」で、小さいカエルを育てる。

旅支度をしてあげると、カエルはいつのまにか、「たび」にでる。

そしていつのまにか、「たび」から帰ってくる。

場面は、あくまでも「おうち」を中心とした領域のみで展開していく。

 

日本でも中国でも流行っているとのことで、早速ダウンロードして、プレイしてみる。

ぼくが、あくまでも「感覚」として気になったことは、第1に、プレイヤーが「旅にでる」のではなく「旅から帰ってくる」カエルを待つというベクトルであること、また第2に、カエルとは「直接のコミュニケーションがない」ことである。

このような(気楽な)「距離感」をもつ他者と、また(それでも)じぶんのもとに「帰ってくる存在」としての他者という、他者との関わり方の二つの方向性において、それは現代社会の関係性の諸相・問題を映しているように、ぼくには見える。

 

他者との関係性ということで、ぼくが思い出していたのは、社会学者の見田宗介の視点である。

見田宗介は、「近代日本の愛の歴史」の講義において、2010年の『ラブプラス+』というゲームにふれている。

 

…『ラブプラス+』は熱海などの実際の観光地のホテルと契約していて、プレイヤーが一人でそのホテルに行くと、「お二人様」として全て扱われ、プレイヤーはそこで操作ボタンとモニターを通してさまざまの愛の言葉を発する理想の女性の映像と、幸福の一日を過ごすのだということです。
 エレクトロニックな恋愛がリアリティの飢えを形成し、この飢えがまた新しい市場として新商品の開発を呼び、この新しい商品がまた新しい飢えを形成していっそう「リアル」な商品を呼び出すにちがいないような、情報資本主義の無限運動の一つのサイクルをそこに見ることができます。

見田宗介「近代日本の愛の歴史 1868/2010」『定本 見田宗介著作集IV』岩波書店、2012年

 

「情報資本主義の無限運動」の一つとして捉えながら、そこでは「関係のリアリティの飢え」が増殖していくことを、見田宗介は見ている。

SNS上における「友達の数」を増やしても増やしても満足できないのと同じく、エレクトロニックな関係をつくってもつくっても満足いかない「関係性」である。
 

「旅かえる」をプレイしながら、ぼくは、そんなことを考えていた。

「旅かえる」をプレイしながら、ぼくはやはり、他者との関係性ということ、また生ということを、考えてしまう。

「旅かえる」は、単純に「他者(カエル)との関係」をきずくということではなく、じぶんの「立ち位置」が、飼い主であると同時にカエルでもあるというように「二重」になっているようなところもあるところに、現代の諸相を映している。

関係の気楽さと関係の濃密さ(の渇望)。

この「二重の立ち位置」が、不思議な感覚をぼくに与えている。

このような思考を続けながら、今しばらく、このゲームを続けてみようと思う。