香港で、冷たいソフトドリンクをオーダーして、「氷」を入れないようにお願いする。
氷を入れなくても充分に冷たいし、いつからか「冷たい」飲み物をあまり飲まなくなったということもある。
だから、「氷を入れないこと」は、ぼくにとっては、いつものことだ。
香港に来てから、冷たい飲み物で「氷を入れない」選択をしたときに驚いたのは、氷を除いても、グラスやカップいっぱいに飲み物が注がれることであった。
日本に住んでいたときは、氷を入れない場合でも、基本的に「同じ量」の飲み物が注がれるだけであって、そうすると、見た目においてグラスやカップの3割ほど、飲み物の「水位」が下がってしまう。
人間(あるいはぼくだけ?)の心情で、なんとなく損をしたような気分になるし、個人的には見た目が美しくないと思ってしまう。
そのような「対応」が、ぼくの経験のなかでデフォルトになっていたから、香港に来たとき、氷がなくてもグラスやカップいっぱいに注がれて提供される飲み物に驚かされ、思い切りのよさのような気持ちを抱いたものであった。
このような香港での「対応」は、しかし、なにもぼくの「心情」を読み取ってなどというものではなく、おそらく、コスト的なところが大きい。
香港で、氷の入った冷たい飲み物(Cold)を頼む時は、通常、暖かい飲み物(Hot)よりも、価格が高くなる(例えば「+3香港ドル」)。
つまり、「氷」は高いということになる。
そのような事情だから、氷を入れずに、飲み物それ自体を増やすことになっても、むしろコスト安になる(のだろう。あくまでも推測として)。
こうして、氷を除くこと(「走冰」)をお願いしても、グラスやカップには、飲み物がいっぱいに注がれる。
ところで、いわゆる途上国などでは、事情はさらに異なってくる。
「氷」自体の安全性、つまり氷をつくるための「水」の安全性の問題が出てくる。
だから、氷は普通は使わないし、氷が出てきても取り除いたり、あるいは大丈夫かどうかを見定める。
20年ほど前にベトナムを旅していたときは、道端の店でビールを頼んだら、常温の缶ビールと氷が詰まったグラスが出された。
そのような経験をしているうちに、常温のビールも「ありうる」(つまり、飲める)のだということを、ぼくは体得した。
また、西アフリカのシエラレオネ、東ティモールに暮らしていたときも、基本的に「氷」は口にしなかったように思う。
このように、飲み物の「氷」から、いろいろな「世界」が見えてくる。
「氷なし」を頼んだら、グラスやカップの「水位」が下がって飲み物が出されるのは、必ずしも「あたりまえ」ではないことを、体験として知ることができる。