香港で、「日本のことを気にかけてくれる」声に、世界の<つながりの地層>のひとつを視る。 / by Jun Nakajima

日本での大雨や台風や地震による被害について、ここ香港の現地ニュースでもその多くがニュースなどで伝えられている。

それだけ、日本と香港のつながりが密であるということでもある。

直接的な/間接的な「影響」が、相互に見られるということである。

香港から観光などで日本に行く人たちも多いから気になるところではあるし、ビジネスなどにも影響することから人によっては必須の情報でもある。

もちろん、直接的に影響がでるような際には、ニュースだけでは情報不足であり、もっと緊密な連絡がなされたりするだろう。

 

でも、ここで、伝えたいことは、とりあえず(あるいは現在のところ)、直接的/間接的に関わらない人たちも、ここ香港で、日本のことを気にかけてくれている、ということである。

友人が、例えば、「いろいろ日本では起きているけれど、大丈夫?」と声をかけてくれる。

友人たちは観光などで日本に行ったことが幾度かあるという「経験」を下敷きにして、あるいは日本人の友人や知り合いがいるという「関係性」を下敷きにして、日本の状況を聞き、気にかけてくれているということはある。

逆をかんがえてみても同じように、行ったことのある場所で何かが起きたとき、あるいは友人や知り合いが住んでいるところで何かが起きたとき、やはり、気にかかったりする。

 

<気にかけるということ>が、直接的に、日本の(あるいは他の場所の)状況を変えたり、支援になるというわけではないけれども、「それでも」、ぼくは、そのことを伝えるために、書いておきたい。

日本にずっと住んでいるときは、そんなことはまったく思いにもおよばなかったから。

日本ではない、世界のどこかで、誰かが、日本のどこかで起きていることで、<気にかけてくれているということ>を、ぼくは日本に住んでいるときは思いもしなかった。

海外の状況が日本のニュースでも報道されるのと同じく、日本の状況が海外のニュースで報道されることは、頭ではわかっている。

けれでも、そのことがより現実味を帯びて経験されるのは、やはりひとつには、海外にいて、日本のことを<気にかけてくれているということ>を直接に知ることが挙げられる。

 

このことは、さしあたりとても「小さなこと」であるし、口に出さなければ伝わらないことである。

けれども、「世界」は、こんなふうにも<つながっている>ということでもある。

互いに、気にかけ、気にかけられるという、そのような<つながりの地層>があるということ。

気にかけるということは、どこの誰というような「固有名詞」がはっきりしない仕方で投げかけられるのかもしれないけれど、「それでも」、そこに住んでいる人たちに向けられていること。

大雨・台風・地震とつづく日本の状況について、ここ香港で、「気にかけてくれる」友人に声をかけられて、ぼくはそんなことを思い、かんがえている。