人事マネジメントにおいて、「ほめることと叱ること」というテーマはよく語られ、聞かれ、悩まれるテーマである。
心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の著作『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)のなかに、「ほめることと叱(しか)ること」について書かれているところがある。
部下に対してほめる方がいいのか、叱った方がいいのか、心理学的な効果などを、河合隼雄は質問されることがあったという。
河合隼雄は、心理学者によって行われた「実験」を導きとして、このテーマについて書いている。
実験はとてもシンプルである。
グループを三つに分け、どのグループにも同じような単純な仕事を与える。
仕事が終わったあとに、グループごとに対応をかえ、第一のグループには「ほめる」、第二のグループには「叱る」、第三のグループには「ほめも叱りもしない」とする。
翌日も同じように進め、前日からの進歩度合いをはかる。
二日目は、進歩の大きかった順に、「叱った」グループ、「ほめた」グループ、「何も言わなかった」グループとくる。
しかし、これを続けてゆくと、「ほめた」グループが「叱った」グループの進歩の上昇率の方がより高くなっていくという。
このような実験と実験結果である。
河合隼雄は、この結果から、ほめるのが良いというのは性急すぎるし、出される課題によっても変わるだろうと留保したうえで、つぎのように意見を加えている。
…この実験には、ほめたり叱ったり、というグループは含まれていない。おそらく、正解は「適切にほめ、適切に叱る」のが一番良いということになろうが、この適切にというところが、実際にどうするのか誰しも解らないのが困るところである。それではどうすればいいのだろうか。
河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)
この「適切に」ということを、ほめる/叱ることの割合をおくことによって、ある程度の指針をもつことができる。
もちろん、ほめる/叱るということのうちには、主体と客体のそれぞれの状況と関係性があるから、あくまでも指針ということである。
河合隼雄は「それではどうすればいいのだろうか」ということについて、まず、つぎのことをつづけて書いている。
ほめるにしろ、叱るにしろ、そこに自分の個性が生きているとどちらでも良いようである。部下をほめることに一所懸命になりながら、嫌われている人もあるし、叱ってばかりいるのに、結構、部下に愛されている人もある。といっても、個性を生かすということも難しいことなので、思い切って、ハウ・ツー式に言うと、やっぱり…ほめることを心がけることであろう。
河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)
基本的なところにおいて「正しい」とぼくは思う。
くりかえし強調しておきたいのは、「個性を生かす」ということである。
難しいことであるけれども、ほめるにしろ、叱るにしろ、そこに自分の個性が生きてくるかどうか。
それはやはり、仕事を超えた人間的な魅力性、つまり生き方ということにある。
「すばらしい人間になる」ということではなく、個性、つまり自分の生き方が生きるがどうかである。
また、実験結果における第三グループ、「ほめも叱りもしない」グループは、進歩度が低いままであったことを忘れてはならない。
対話・会話もないままであることは、人事評価での思ってもみない評価の「ズレ」、さらには日々の誤解をいくつもいくつもつくりだしてゆく。
海外での人事マネジメントでは、「言葉」も制約要因としてあるかもしれない。
しかし、それは「言葉」だけの問題ではけっしてないし、また文化的な制約要因などはふだん「当たり前」としていることを「当たり前ではない」ものとして、より注意深く考えさせてくれるものでもある。
こんなことも含めて、「ほめることと叱ること」は、尽きることのないテーマである。