大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)の「まえがき」で、大澤真幸(社会学者)は、大学に入学した年(1977年)に(その後の師となる)見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」を書いている。
「生きることと考えることはひとつになりうること、人生と学問を統一できるということ、人が生きる上で直面する諸々の深刻な問題に学知を通じて対することができるということ」という決定的な学びである。
その年(1977年)、真木悠介の筆名で発表された見田宗介の二冊、『気流の鳴る音』と『現代社会の存立構造』(いずれも筑摩書房)。大澤真幸の決定的な学びに影響を与えたこれら二冊に、ぼくはそれからおよそ20年後に出会う。
それは、圧倒的な出会いと学びであった。『現代社会の存立構造』でいわばぼくの<世界>の見方が変わり、『気流の鳴る音』でぼくの<生き方>を方向付けることができた。
「真木悠介」の筆名で書かれる著作は「世に容れられることを一切期待しない」(真木悠介)ものとして書かれる著作であるけれど、ぼくを圧倒的な仕方でとらえた著作群は、真木悠介による著作群であった。
『気流の鳴る音』と『現代社会の存立構造』のあと出された『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)は、ぼくを深いところで<解き放つ>ものであった。
けれども、そもそも「けれども」という言い方が適切かどうかはわからないけれど、ほんとうにぼくを<解き放つ>ものであったのは、『自我の起原』(岩波書店、1993年)であったのだと言うことができる。人としての<自由>というものをまるで手に取るようにしてつかんで見ることができたような、そんな圧倒的な経験であった。
「何度この本を読んだか」という次元ではなく、『自我の起原』はいくどもいくどもひらいてきた書物である。
本を整理整頓している折にふと手にとった『<わたし>と<みんな>の社会学』のページを繰りながら、『自我の起原』という書物の、底知れない深さと圧倒的な触発性を、ぼくは感じている。
『<わたし>と<みんな>の社会学』における大澤真幸と真木悠介との対談は、『自我の起原』のコアにふれてゆく。そんなひとつの話として、地球にはもともと酸素がなかったところにまで視界をひろげてゆくところがある。
当時は酸素は有毒であったところ、有毒である酸素を生かして生きる生物があらわれる。他の生物たちは、酸素を生かすこの生物と<共生する>ことで、有毒物質である酸素にとりこまれている環境を生き延びてきたわけである。ミトコンドリアとして自己の内部にとりこんで<共生のシステム>をつくることによって。そして、「今」を生きる動物も植物も、この<共生のシステム>が展開してきたものであることに、見田宗介はことばの照明をあてる。
見田 …つまり生物進化のいちばん大きな根幹は異なった種の共生によって成し遂げられた。…つまり生物進化のいちばん太い幹は、共生から出てきたことをいま一度確認する必要があります。お互いに殺し合うのではなく、お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある。
大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)
とても力強いことばである。希望のことばである。しかも、ただのことばではなく、生物学のオーソドックスな理論のなかに足場をおくことばである。
ぼくたちのひとりひとりの身体は、その起原において、<共生>をその根幹にしている。これからの<共生の時代>に向けて、確かな足場のひとつをおくことのできる場所である。
なんどでも繰り返そう。「お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある」のだ、と。