「香港のこの時期は街がしずかで、気候もちょうどよくて、1年で一番好きな時期なんだ。だから年末年始は香港を出る予定はないよ」。
香港人の知り合いが、クリスマス後の、(香港においては)しずかな街を歩きながら(英語で)語る。
確かにこの時期は、香港の街がいつもよりしずかになる。
毎年1月あるいは2月頃に迎える「旧正月」もしずかになるけれど、店がほぼ閉まってしまうので、外食や買い物などにおいては不便になる。
旧正月の時期に比較し、この時期は街はいつも通りそこにある。
食事に出かけることもできるし、買い物もできる。
この時期はだから「適度なにぎわい」に包まれる。
相変わらずいっぱいの人たちでにぎわう場所もたくさんあるけれど、この「適度なにぎわい」は、「転がる香港」(星野博美)にあっては貴重なひとときだ。
香港の街が、違った風景に見えてくる。
小林一茶の有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」が、水の音にたくして「しずけさ」をうかびあがらせるのとは逆の仕方で、香港の「適度なにぎわい」(しずけさ)は、香港の「いつもの躍動感のある混沌としたにぎわい」をうかびあがらせるように、ぼくには見える。
気候も(時にとても寒くなることもあるけれど)過ごしやすくもなる。
2017年はクリスマス前から年末にかけて、15度から20度の気温で推移している。
知り合いの香港人が語るように、ちょうどよい気候ではある。
夏の蒸し暑さでもなく、寒すぎもせず。
だから、「同感だよ」と、ぼくは知り合いの香港人に同意してしまう。
それから、そこに「年末年始」という独特の雰囲気が重なる。
冬至からクリスマス、そして新年の挨拶を一緒にしたような「Season’s greetings」という仕方で、人と人との「つながり」に感謝する。
クリスマス後の最初の平日(ボクシングデー)の夜、「適度なにぎわい」に包まれ、ひとときのしずかな装いをみせる香港の街の一角を歩きながら、ぼくはそんなことを考える。