香港で、11回目(11年目)のクリスマスをむかえる。
香港の街は、すっかりとクリスマスの衣をまとい、冬至を越し、新しい年へ向かう雰囲気をつくっている。
「香港のクリスマス」という視点の立て方は、それがどういうものかをひとことで語るのは、なかなかむずかしい。
「クリスマス」というものが、街の飾りや商品や語りのなかには厳然と存在しながら、やはり「香港」という場所の多様性のために、語ることがむずかしい。
香港の英字紙「South China Morning Post」は、2017年クリスマスの前の週末を「Hong Kongersがどのように過ごしたか」という記事を24日付で掲載している(*参照記事はこちら)。
そこで取り上げられているのは、例えば、次のようなものだ。
● コンサート
● 食品市
● 抗議行動
● 香港からの/への人の動き
● 行政長官の挨拶
「香港からの/への人の動き」においては、23日の土曜日だけでも、69万3千人が香港を離れ、49万3千人が香港に到着したという。
香港に住んでいる人も、旅行者も入っているので一概には言えないけれど、香港の人口が740万弱であることを考えると、「香港」という場を起点にして、ほんとうに多くの人が動いていることがわかる。
「香港」の境界線において発生している多様性。
また、「香港」の内も多様性に満ちている。
いろいろな国や文化の人たちという「横の多様性」、また階層的な社会構造にあるような「縦の多様性」がある。
さらには、そこに「時間軸」を組み合わせると、時間の進み方の速さが加わり、いっそう、香港の多様性を増している。
それらの多様性が、この香港という小さな場所に凝縮されている。
凝縮されているからこそ、その様相と体験がよりオープンに、目の前で展開される。
ローカルな雰囲気のショッピングモールを歩きながら、文房具店で子供に小さなプレゼントを買う人を見る。
近くのモダンなショッピングモールでは、おしゃれなレストランで、クリスマスディナーを楽しむカップルや家族がいる。
海外から出稼ぎできているヘルパーの人たちがクリスマスデコレーションを背景に写真をとっている。
そんな「いろいろ」な風景が香港である。
そんなことを考えながら、耳から、麻雀(マージャン)の音が聞こえてくる。
麻雀牌をかきまわす音だ。
近所宅に人があつまり、麻雀をしている。
麻雀をしながら、広東語での会話がとぎれることなく続いているようだ。
クリスマスの麻雀の音も、ぼくのなかに「香港のクリスマス」として、刻印されている。