香港はいたるところで、クリスマスの飾りつけがほどこされ、クリスマスと新年の到来の足音がきこえるようになってきた。
ヴィクトリア湾を挟んで、ビルがイルミネーションに包まれ、「Season’s Greeting」のメッセージを届けている。
住まいであるマンションのロビーや敷地内も、クリスマスの飾りで、すっかり化粧をし直したところだ。
そんな香港は、今年は暖秋が続いている。
いっときは冬の到来が感じられるようになったと思ったら、すぐさま20度前後の気温にもどってしまった。
2017年の「9月~11月」にかけての平均気温は、25.8度で、これまでの歴史上の記録で3番目に暖かい秋となったという。
まだクリスマスの予報は出ていないけれど、「暖かい気候のクリスマス」になるかもしれない。
それにしても、「暖かい気候のクリスマス」をぼくが体験したのは、1996年にニュージーランドに住んでいたときのことであった。
ニュージーランドは南半球に位置しているから、クリスマスはちょうど夏の時期にあたる。
ぼくは、キャンプ場でテントを設営して、サンタクロスの姿を横目に、まったく「クリスマスらしくないクリスマス」を過ごしたことを思い出す。
「暖かい気候のクリスマス」があることなんて、南半球があり、また熱帯がありなどとちょっと考えてみれば、知識・情報としてはすぐわかることだ。
しかし、「暖かい気候のクリスマス」を過ごす感覚は、やはり体験してみないとわからない。
だから、体験として、ぼくの既成概念を壊すのに、よい機会となった。
その後は2002年に西アフリカのシエラレオネに住むことになり(その年のクリスマスは会議等で日本に戻っていたけれど)、それ以降も東ティモール、それから香港と移り住むなかで、「暖かい気候のクリスマス」はすっかりぼくのなかに定着した。
それでも、例えば、香港では、15度の気温だとして、その「気温」にはあらわれない<寒さ>のようなものを感じる。
実際、この暖秋においても、それなりの人たちが、コートやダウンジャケットを着はじめている。
気温にはあらわれない<寒さ>は、ある人は、湿気が高いことが理由だと言う。
ほんとうのところはよくわからないけれど、ぼく自身のことで言えば、人間の環境適応性のようなところがある。
2002年以降、ずっと、熱帯や亜熱帯に暮らしてきて、ぼくの身体はすっかりその気温・気候に慣れてしまった。
だから、ぼくのなかでの「寒さの基準」が変わってしまったのだと思う。
香港にいながら、ぼくはこの「寒さ」のなかでも、クリスマスの雰囲気を楽しめるようになった。
もしかしたら、人間のもつ「想像力・イメージ」の力、あるいは「記憶」の力が、力をかしてくれているのかもしれない。
そのようにして、ぼくのなかに、「暖かい/寒いクリスマス」が定着し、同居している。
それにしても、この「人間の環境適応性」はすごいものだと思いながら、逆にこわいものだとも思う。
現在の地球がくぐりぬけている環境汚染や気候変動に、ぼくたちがすっかり慣れてしまい、それが「当然のこと」となってしまうことの恐れである。
そうならない前に、ぼくたちの社会は、その軌道を変えていかなければならない。
「暖かい気候のクリスマス」は決して悪いものではないけれど、でも、世界全体が「暖かい気候のクリスマス」を迎えないように。