海外・異文化

自身の「西洋的」な素養の起源。- 解剖学者・養老孟司の推測。 by Jun Nakajima

解剖学者の養老孟司に学ぶのは、20年以上まえに「唯脳論」というパースペクティブに視界がひらかれたとき以来、ぼくにとって心躍る経験である。その養老孟司が「本」の読み方について語るのを読むことも、また楽しいものだ。

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一生にすくなくとも一度は<人間の網の目の外へ出る>文化。- 真木悠介が引用するゲーリー・スナイダー。 by Jun Nakajima

社会学者の見田宗介先生が、1970年代に真木悠介名で書いた著作に『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房)がある。カルロス・カスタネダの著作を素材にしながら、(現代を含む)近代をのりこえてゆく方向性に、<人間の生きかた>を発掘してゆくことを企図して書かれた本である。

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ひきだしに、海外のコインや紙幣。- 「寄付」で、新たに息を吹き込む。 by Jun Nakajima

家のひきだしの奥のほうにたまっていきやすいものに、海外のコインや紙幣がある。ぼくのひきだしにも、オセアニアからヨーロッパ、アフリカ、それからもちろんアジアの国々まで、さまざまな国々のコインや紙幣が「埋もれている」のであった。

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かつて「使われなかった紙幣と硬貨」を使う。- 時空を超える香港の紙幣と硬貨。 by Jun Nakajima

海外のいろいろな場所を行き来してきて、いろいろな紙幣と硬貨がたまってしまっている。そんな紙幣と硬貨を整頓していたら、香港の紙幣と硬貨が出てきた。まさかそこに香港の紙幣と硬貨があるとは思っていなかったから、少しびっくりする。

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「自分」をバージョンアップさせてゆく。- たとえば、海外で暮らしてゆくなかで。 by Jun Nakajima

「自分」であること。一貫性をもった振る舞いかたで、どこにいっても、どんなときも「自分」をもっていること。確固とした「自分」であること。そのような、不動で、確固とした、強い個人像のようなものが有効であり、また強く信じられることがある。

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機能集団と共同体の「二重構造」としての日本の会社。- 『日本資本主義の精神』(山本七平)の視点のひとつ。 by Jun Nakajima

山本七平(1921-1991)による鮮烈な「視点の提供」である、著書『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)。日本の外(海外)で働きながら、異文化のはざまで「働く」ということを見つめつづけてきたぼくの実感と思考から照らしたとき、この本は刺激的であり、指摘はきわめてするどく、そして40年を経過した「いま」でも(また「いま」だからこそ)有益な視点を提供してくれている。

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「平成」の半分ほどを海外ですごしてきて。- 「日本」との<距離>のなかで。 by Jun Nakajima

「昭和の終わり」の記憶を、ぼくはかすかに自分のなかに残している。中学生だったぼくは、その日、体育館に集められ(ここは記憶が定かではないのだけれど、もしかしたら、体育館に集まっているときに)、天皇崩御が伝えられた。それから「平成」がはじまった。

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万次郎(ジョン万次郎)が無人島とアメリカで学んだこと。- 鶴見俊輔がみてとる、成長としての「思想」。 by Jun Nakajima

思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作『旅と移動』黒川創編(河出文庫)の最初に、黒川創の編集により、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」がおかれている。

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「外国人になったこと」の体験から。- イチローの引退記者会見より《その3》。 by Jun Nakajima

イチローの引退記者会見(2019年3月21日)で放たれた言葉たちのいくつかに共鳴し、それらにふれながら、ブログで、《その1》《その2》と、少しのことを書いた。《その1》では、イチローの<喜び>、とりわけ「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」ということへの変遷、また、《その2》では、イチローの<生きかた>にふれてきた。

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人生の5分の2以上を「海外」で暮らしてきて感覚すること。- 身体にきざまれる<日常の風景>。 by Jun Nakajima

ニュージーランド、シエラレオネ、東ティモール、それから、ここ香港。日本の外(「海外」)で暮らしてきた時間がつみかさなり、あわせて17年ほどになる。つまり、人生の5分の2ほどの時間を、海外ですごしてきたことになる。

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香港で「食事」が運ばれるのを待っていたら。- 「しきり越し」のトレイと笑顔。 by Jun Nakajima

ここ香港で、ファーストフード店で、数字の書かれた立て札をテーブルにおいて、注文した食事が運ばれるのを席について待っている。午前の時間ということもあって、食事時であれば人でいっぱいになるであろう店内も、人はまばらである。

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海外に住みながら「季節」のことをかんがえる。- 「雨季と乾季」あるいは「四季」を生きながら。 by Jun Nakajima

「2019年」になって、人間がつくりだす紀年法(西暦はキリスト紀元)のことをかんがえていたら、<自然>のことが、ふと、頭の中に浮かんだ。紀年法による年ではく、「年」という時間の単位は地球が太陽を一周する時間(「閏年」での調整が入るが)であり、さらには、そこには「季節」がある。

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