ぼくたちの頭脳にある言葉や物事の
「定義」は、驚くほどに、思い込みと
間違いに充ちている。
何かの都合で、何かを読んだり聞いたり
していて、自分が思っていたことの
間違いに気づく。
ぼくたちの「世界」は、言葉と言葉の
解釈で構成されるものでもある。
言葉が間違っていると、「世界」は
間違ったパーツでつくられてしまう。
人と人のコミュニケーションは、
ひとつの「世界」とひとつの「世界」
の間のコミュニケーションでもある。
だから、すれ違いや誤解が常である。
だから、時に、「世界」のパーツを
見直すことは、とても大切である。
「自分の頭の中の辞書」の定義を
見直すことである。
見田宗介・栗原彬・田中義久編の
『社会学事典』(弘文堂)は、
「引く事典」だけでなく「読む事典」
でもある。
ひとつひとつの項目に惹かれ、
言葉の世界に引き込まれてしまう。
事典の最初の項目は「愛」である。
これほど、人によって、定義や解釈
が異なる言葉もない。
ぼくの「頭の中の辞書」では
「愛」の項目はこう書かれている。
「愛とは、自分と相手の境界が
ないこと、なくなること」
『社会学事典』ではこのように
定義されている。
愛とは、主体が対象と融合すること、
一体化することであり、またそこに
成り立つ関係でもある。愛の対象は
一つの宇宙である。主体は対象に
ひきつけられることによって己れを
消尽しつつ、自らを宇宙へと開き、
直接、無媒介的に宇宙の中にいる。
主体と対象との間にはもはや
隔てるものがなく、愛は「消尽の
共同体」(バタイユ)として
存立する。・・・
『社会学事典』(弘文堂)より
これを読みながら、身体の震えと
共に、一人うなってしまう。
また、たった一つの言葉の、その
拡がりに驚かされる。
「頭の中の辞書」の見直し、つまり
「自分の世界を書き換える方法」は
二つある。
- 「辞書」や「事典」で学び、書き換える。
- 意識的に「自分なりの言葉」に書き換える。
1の作業だけでも、深い娯しみを
得ることができる。
関心と感心、驚きの連続である。
「インターネット時代」における
「ネット言葉」だけの世界に陥らない
ための方法でもある。
2は、既成の概念を超えていくこと
でもある。
自分の「世界」を積極的につくり
だしていくことである。
「世界を止める」(真木悠介)のは、
最初は「言語性の水準」である。
ただし、それは、身体性、行動、
それから生きること総体(生き方、
人生)に影響を与えていく。
ぼくは、ここ数年、「自立」という
言葉の書き換えをしてきた。
ぼくの「自立」は、狭い定義で、
それが日常の様々なところに
弊害を生んできていたからだ。
だから、「自立とは…」を書き換える。
自立は自分だけで立つのではない。
周りの応援や支えも、自立に含まれる
というふうに。