「生きることの土壌」をつくること。- そのときには「意味」はわからないけれど。 / by Jun Nakajima

宮沢賢治の「時間と空間」に関する
論考の中で、社会学者の見田宗介は
賢治が若いときに2年余りの時間を
費やした土性調査の仕事に触れて、
このように書いている。

 

若い日の柳田国男の、特赦のための
犯罪人調査のたんねんな閲読という
根気仕事が、この国の社会の底の、
無数の不幸な人生の記録にふれる
ことをとおして、その後年の巨大な
民俗学の仕事の土壌を用意したよう
に、この二年余の、文字どおり地を
這うような地質調査は、賢治の文学
のみえない土壌を形成している。

見田宗介『宮沢賢治』(岩波現代文庫)


この文章を読むときに思うのは、
見田宗介自身の、社会学を超える
巨大な仕事の「土壌」についてである。

ぼくが、20年程前に、修士論文の
テーマと内容を構想しているときに
圧倒的な「モデル」としてあったのは
見田宗介の著作『価値意識の理論』
(弘文堂)である。

「欲望と道徳の社会学」と副題の添え
られた『価値意識の理論』は、
見田宗介が1961年に大学に提出した
「修士学位論文」である。

序章「人間科学の根本問題」につづき、
以下の論考が展開されていく。

第一章:価値と価値意識
第二章:行為の理論における<価値>
第三章:パーソナリティ論における<価値>
第四章:文化の理論における<価値>
第五章:社会の理論における<価値>
第六章:価値意識研究の方法

本文は379頁、重要文献目録も158に
およぶ大著である。

本文を読むと、書かれた言葉の背景に、
どれだけの研究と思考がつまっているか
が、見てとれる。

後年の見田宗介の巨大な仕事へ
狭義の意味で「直接的」にはつながる
ものではないけれど、
この地を這うような大著の執筆という
仕事は、後年の巨大な仕事の「土壌」
をつくりだしている。

ぼくは「国際協力」の現場の仕事に
出ていく前に、『価値意識の理論』を
モデルイメージとして、ぼく自身の
「修士学位論文」を書いた

本文は100頁ほどだけれど、
参考文献は日本語・英語合わせて、
200以上にのぼる。
決して「数」が大切ではないけれど、
この地道な研究が、ぼくの後年の
仕事の「土壌」をつくってきたことは
確かだ。
その「土壌」の大切さと意味は、
そのときにはわからなかったけれど。

大学院修了後の仕事、
国際協力と人事労務コンサルタントと
いう仕事を、今この時点から振り返っ
たときに、「土壌」の意味が見えてくる。

ぼくの仕事が、この「土壌」から
生成してきていることが見える。
多様な形ではあるけれど。

そして、今また、
この「生きることの土壌」とも言うべき
「土壌」を、ぼくはせっせと耕している。

せっせとする根気仕事は、
そのときにはその「意味」がわからない
ことがある。
でも、それは、後年の生きるという経験
の中において、太い幹のある木々たちと、
鮮烈な花を咲かせる「土壌」を、
つくることができる。