「Extreme Ownership」。
元Navy SEALs(アメリカ海軍の特殊部隊)の少佐である、Jocko Willinkの書いた本のタイトルである。
このように、「extreme」(極度・極端)を形容詞に冠する言葉が、ときおり、見受けられる。
そうせざるをえない現代、そしてその戦略と戦術について書こうと思う。
Jacko Willinkの著作『Extreme Ownership』(ST Martin’s Press, 2015)は、長年にわたってNavy SEALsのチームを戦場を含め率いてきた経験と学び、「リーダーシップ」に落とした作品である。
リーダーは、自分たちの世界のすべてにオーナーシップをもつべきだという、原則・マインドセットについて書かれている。
「Discipline equals freedom.」という名言を、Navy SEALsと戦場の厳しい経験から得たJockoの、骨太のリーダーシップ論である。
彼のPodcast(Jocko Podcast)で聞く彼の「骨太の声」を聴いていると、この名言の真実さを感じる。
もちろん、彼の導き出す原則・マインドセットは、戦場だけでなく、企業組織などにも適用可能なものである。
現に、彼は、企業のコンサルテーションやリーダーシップ研修などを手がけている。
それにしても、ownershipに冠せられた、この「extreme」が、今の世界のあり方のようなものを、逆に照らし出しているように見える。
「extreme」は、Jockoなどにとっては、イラクなどの戦場での厳しい現実から抽出された、生きた言葉である。
ただし、この言葉を使うことの戦略と戦術を考えるなかで、二つの、差し迫った衝迫があると、ぼくは思う。
それは、第一に、世にあふれる言葉やキーワードたちとの関連性のなかで、差別化をはかり、言葉がそびえたつための衝迫である。
この「現代」という時代の転換期のなかで、現在直面する「問題と課題」を解決するものとして、さまざまな言葉・キーワードが叫ばれる。
オーナーシップ、責任、イノベーション、改善、デザインなどなど。
いわば、「水平的な(言葉の・実践の)世界」のなかで、「メッセージ」として、そびえたつための言葉として、選ばれたものである。
第二に、「ownership」だけでは、原則・マインドセットとして力不足であることの焦燥感のなかに、「extreme」が置かれる。
組織論やその実践においても、「オーナーシップ」はよく使われる。
ただし、それでは、言葉として、また実践として、不足がちな現状のフラストレーションがある。
いわば、「垂直的な(言葉の・実践の)世界」のなかで、おもいっきり(極度に)、垂直に立つことの要請が、この言葉に託されている。
このように、言葉とその実践の「水平的かつ垂直的な立ち位置」のなかでとる戦略として、あるいは日々の戦術として、この「extreme」という言葉はある。
同じように、「extreme」は、他の著作などでも、使われている。
Sarah Robb O’haganの著作『Extreme You』(Harper Collins Publishers, 2017)がある。
「Extreme You」を成長させていくこと、つまり自分にしかなれないようなベストな自分になることのステップを、Sarahは自身の経験をモデル化して、この本で説いている。
この本も、水平的、かつ垂直的な言葉の立ち位置のなかでとる戦略と戦術であるように、ぼくは思う。
端的には、やはり、多くの人たちが「自分自身になれていない」フラストレーションのなかに、投じられた言葉と処方箋である。
また、その背景には、このような「自分自身(You!!)であろう」「ほんとうの自分になろう」という、真実でありながらもしばしば間違って解釈され実践される現実へのフラストレーションがあるかもしれない。
その他、ぼくの「蔵書」のなかには、Cheryl Richardson著『The Art of Extreme Self-Care』がある。
これも、「自分をケアしよう・大切にしよう」という言葉と実践の現実のなかで、そこに「extreme」性を付すことで、現状の問題を打開するメッセージが込められている。
ところで、ぼくが10年ほど前に読んだ著作、Jack Canfield著『The Success Principles』の67原則の一番最初には、「自分の人生に責任を持つこと」が置かれている。
そこには、次のように「100%」が付け加えられている。
「Principle 1: TAKE 100% RESPONSIBILITY FOR YOUR LIFE」
「100%の責任」は、それはそれでわかりやすい。
ぼくも、この言葉を「導きのひとつ」として、自分を指差し、他者や経済や外部環境に文句をいわないように心がけてきた。
しかし、今の時代の激しい変遷は、「100%」ではなく、「extreme」を、ぼくたちに要請しているのかもしれないと、ぼくは思ったりする。
100%では足りない、という感覚。
200%や300%が必要とされる状況。
それは、マインドセットもそうだし、実際に問題や課題を解決し乗り越えていく仕方もそうである。
100%を超えるものとしての「extreme」。
そんな焦燥感のなかで、中長期的なシナリオ書きという「戦略」と日々の方法という「戦術」に、「extreme」な原則・マインドセット、それからビジョンと手段が求められている。
もちろん、「extreme」の原則と方法自体は、暴力的なものや抑圧的なものであってはならない。
ぼくたちの「ほんとうの歓喜」を目指し、それ自体「魅力ある方法」とすることで、「extreme」な戦略と戦術は、ときとして、中途半端な立ち位置で立ち往生しているぼくたちを、切り拓いていく力となっていくのだ。