書籍

今、「たった一冊の本」をぼくが無人島にたずさえるとしたら。- 真木悠介の名著『気流の鳴る音』。 by Jun Nakajima

村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。

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スティーブン・フォスターという人物。- 『はじめてのアメリカ音楽史』を、音楽を聞きながら読む。 by Jun Nakajima

スティーブン・フォスター(Setphen Foster)。この名前を聞いて、この人物のことが思い浮かぶひとは、学校の授業でありとあらゆることを吸収していたか、名前を覚えるのが得意か、あるいは音楽史へと足をふみいれてきたか、いずれにしろ、自身でつくりあげる世界の体系のなかに「アメリカ音楽(史)」が組み込まれているひとたちだ。

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とても疲れているときに、やはり本をひらく。- 心に灯を灯し、あたためる。 by Jun Nakajima

とても疲れているとき、思っている仕方では休まらないことがあるものである。寝不足があきらかであれば寝れば元気になるものだけれど、寝ても何か疲れがとれないことがあったりするものである。そんなとき、逆に身体を動かすことで疲れがとれることもあるし、たとえば、読書をすることで疲れがいやされるようなこともある。

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ユングの深い洞察と鮮烈なことば。- ユングへの「予感」。 by Jun Nakajima

いつか読むことがわかっている本、いつかはわからないけれどいずれ読むだろうと予感のする本、読みたいと思いつつどこかで「まだ」と思う本、「そんなことごちゃごちゃ言っている暇があれば今にでも本をひらけばいいじゃないか」という声が聞こえつつもじっと「時」が熟すのを待っている本。

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日本人にとっての「働く」こと。- 理解され難い、「働く」を支える発想。再び、山本七平の視点。 by Jun Nakajima

伝統的な師弟関係における本質(のひとつの見方)について、自身が武道家でもある思想家の内田樹に依拠しながら、修業としての「トイレ掃除」ということのなかに見てとったブログ「「学び方」を学ぶこと。- 修業としての「トイレ掃除」の本質。」を昨日書いた。

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機能集団と共同体の「二重構造」としての日本の会社。- 『日本資本主義の精神』(山本七平)の視点のひとつ。 by Jun Nakajima

山本七平(1921-1991)による鮮烈な「視点の提供」である、著書『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)。日本の外(海外)で働きながら、異文化のはざまで「働く」ということを見つめつづけてきたぼくの実感と思考から照らしたとき、この本は刺激的であり、指摘はきわめてするどく、そして40年を経過した「いま」でも(また「いま」だからこそ)有益な視点を提供してくれている。

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<日本資本主義の精神>への自覚。- 山本七平による鮮烈な「視点の提供」。 by Jun Nakajima

著書『「空気」の研究』でよく知られる山本七平(1921-1991)。2000年代に「空気を読めない(KY)」が言葉として流行になったけれども、日本社会における、この「空気」という存在を解き明かそうとしたのが、この『「空気」の研究』(1983年)である。すでに「古典」であり、近年、たとえば大澤真幸(社会学者)が、この著書に再度光をあてている。

ところで、彼の他の著書に、『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)という著書がある(現在は、PHP文庫で読むことができる)。

「まえがき」の冒頭で書かれているように、「日本資本主義精神」という標題は学術書のような誤解を与えてしまうかもしれない(マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が連想されてしまう)。けれども、この本は、経営雑誌に掲載された「日本的経営を忘れてはいないか」という一文(のちに英訳されて外国人の友人から説明会の依頼がくる)、それから「日本の伝統とキリスト教」という連続講演(日本の伝統がもつ独特の宗教性が日本資本主義の倫理の基礎である)が契機となっている。

ひとつめの契機で山本七平が感じたのは、日本的経営などにおいて見られる「日本的特質を日本人自身が自覚していない」という問題である。日本の経済成長は「何だかわからないが、こうなってしまった」ものである。日本的特質は外部に説明する必要は必ずしもないけれど、「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは、「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であること、山本七平はここに最も大きな問題を見ているのだ。


…日本に発展をもたらした要因はそのまま、日本を破綻させる要因であり、無自覚にこれに呪縛されていることは、「何だかわからないが、こうなってしまった」という発展をもたらすが、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった」という破滅をも、もたらしうる…。

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫、1995年)


「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であること、という把握、それからそこに発展だけでなく破滅への経路を見る山本七平の視点はきわめて鋭い。


…いま必要なことは、この「呪縛」の対象を分析し、再評価し、再把握して、自らそれを統御することである。
 もちろん、それを外部に説明する必要はないが、要請されればそれができるように、各人が明確な自己を把握して、自らを統御することは必要である。それは国家に要請されるだけでなく、企業にも、個人にも要請される。
 本書は、それを行うための一提案であり、いわば視点の提供である。

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫、1995年)


ぼくは、この本を、海外で働く日本の人たちに読むことを勧めたい。

今から40年まえの1979年に出された本だけれども、山本七平が書いている「問題」は、40年を経た「今」も、その本質はもとより、現象面においても(あまり)変わっていない(ことがある)。山本七平が「いま必要なことは…」と書くときの「いま」は、40年を経た「いま」でもあると、ぼくは思う。

日本の会社の「共同体」の構造(と精神構造)、雇用契約をふくむ契約のかんがえかた、解雇にたいするかんがえかた、「話し合い」の優位性など、現象面をふくめて、今でも「問題」として生起する問題群が、社会構造と精神構造をともに見晴るかす仕方で、明晰に語られている。

この本を読みながらぼくが実感したのは、まさにこれらの「問題」と構造が今も変わっていないことの驚きであった。

なお、「解決法」が説かれているわけではない。けれども、「自己がそれによって行動している基準」を自覚することなく(少なくとも自覚しようとすることなく)、現象面を解決しようとする仕方は、付け焼き刃になりかねない。あるいは、「何だかわからないが、こうなってしまった」という事態が起きてしまうかもしれない。その意味で、一歩踏みこんだ「解決のヒント」を得ているのだと言うことはできる。

なお、副題にある「なぜ、一生懸命働くのか」についても、興味深い視点を提供してくれている。マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理のなかで、「ベルーフ」としての仕事、つまり「神から呼びかけられている」ものとして捉えられる職業に<資本主義の精神>を見たけれども、山本七平は、日本の伝統がもつ宗教性に<日本資本主義の精神>の基礎を見出している。

そんなわけで、海外で働く日本の人たちに、この本を勧めたい。山本七平自身が書いているように「視点の提供」として。

「自分の問題」の延長線上に。- 上原隆著『友がみな我よりえらく見える日は』。 by Jun Nakajima

「友がみな我よりえらく見えるとき」というのが、誰にとってもあるかもしれない。いつもそう思ってしまう人もいれば、あるときにふと、そう感じてしまう。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものだとわかりながら、それでも、ときに、「友がみな我よりえらく見えるとき」が日常に差し込んでくるかもしれない。

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上原隆著『君たちはどう生きるかの哲学』に惹かれて。- 鶴見俊輔を補助線として、『君たちはどう生きるか』を読む。 by Jun Nakajima

吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』。1900年代前半(原作の出版は1937年)の日本の東京を舞台に、主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さん(おじさん)が、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。

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「何」の本を読むかということに加え、「誰に」勧められる本か。- 河合隼雄先生に「この一冊」と勧められる本。 by Jun Nakajima

昨日の日付「3月24日」がなんとなく気になって、なんだろうかなぁと思いつつ、結局わからないままであったのだけれど、今日のブログを書こうと思って「下調べ」をしているときに、記憶(あくまでもぼくの記憶)にのこる「3月24日」を、ぼくが以前書いた文章のなかに見つけた。

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河合隼雄が語る「鶴見俊輔」。- 「天性のアジテーター」というちから。 by Jun Nakajima

2019年は鶴見俊輔(1922-2015)の作品群を読もうということで、年初に、鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)の本をひらいた。言い訳をするならば、いろいろとほかのことをしているうちに、この本の途中でとまったままに、早いもので3ヶ月近くがすぎた。

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村上春樹訳『グレート・ギャツビー』の「冒頭と結末」のこと。- 「訳者あとがき」の<告白>。 by Jun Nakajima

小説家の村上春樹が訳した、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(中央公論新社、2006年)の「訳者あとがき」、その最後の最後のところ(もう少しで「訳者あとがき」が終えようとするところ)で、村上春樹はつぎのように書いている。

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1910年代から1920年代生まれの先達に、ぼくはなぜかひかれる。- 串田孫一にふれながら。 by Jun Nakajima

2019年は思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作を読もうと、2018年の終わりちかくに、ぼくは思うことになった。年始にさっそく鶴見俊輔の著作を手にいれ、読みだしたら、一気に脱線してしまった。著作のなかで鶴見俊輔がふれる人たちを、そのたびごとに追っていたら、まったく進まなくなってしまったのだ。

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<手放す>ことへ。David R. Hawkins著書『Letting Go』と共に。- 「逃避」という方法から、はなれてゆく。 by Jun Nakajima

近藤麻理恵の「KonMari Method」による「片づけ」が世界的に注目されているが、やましたひでこが提唱する「断捨離」は、片づけのなかでも<手放す>ということにより重心をおいている(人生ステージにもよるけれど、ぼくはこの二つの方法の統合型がより効果があると思う)。

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