香港で、「九龍半島の南端」にたたずみながら。- 何をするのでもなく、ただ、ぼーっと、すること。 / by Jun Nakajima

香港の九龍半島の南端に位置するプロムナード(散歩道)から、ビクトリア湾と湾を挟んで立ち並ぶ香港島の高層ビル群をながめる。

「香港」を感じるひとときだ。

今は、改装工事のため、一部入ることができないところがある。

 

九龍半島の南端に位置するプロムナード。

ここから、「シンフォニー・オブ・ライツ」と呼ばれる「世界最大の光と音のショー」を楽しむことができる。

「シンフォニー・オブ・ライツ」では、ビクトリア湾の両側に立つ40棟以上ものビルが光を放ち、夜空とビクトリア湾を、照らし出す。

毎晩20時から約13分間にわたって繰り広げられるショーだ。

香港の夜景は、そこに「香港」の刻印を確かに刻んでいる。

 

1995年、旅の目的地のひとつして、香港にはじめて来たとき、「香港は夜型の街だ」と、ぼくは感じた。

同じ旅の行く先であった中国本土やベトナムの朝は早かった。

その対称性のなかで、香港が(東京と同じように)夜型であることを、ぼくは感じていた。

しかし、九龍半島から香港島をながめる風景は、ぼくにとって、「午前から昼にかけての風景」である。

22年前、午前の朝食の後に、宿から歩いて、ぼくはこのプロムナードにやってきては、香港島をながめていた。

ただ何をするのでもなく、ぼーっと、ながめているだけであったけれど。

 

「九龍半島の南端」のプロムナードは、人をひきつけてやまない、不思議な力の磁場をもった場所である。

バックパッカースタイルでの旅を書き続ける下川祐治は、著書『週末 香港・マカオでちょっとエキゾチック』(朝日文庫)のなかで、やはり、この「九龍半島の南端」で、香港の旅をはじめる。

彼は、この著書の旅以前の香港を振り返りながら、こんなふうに、書いている。

 

 香港ではさしたる目的もなかったから、ただ、ただ、街を歩いていた。…夜はいつも九龍半島の南端の埠頭から、香港島の夜景を眺めていた。…九龍半島の南端から香港島の夜景を眺めることが好きだった。…
 それからも何回か香港に足を運んだ。宿に荷を置き、真っ先に向かう場所が九龍半島の南端埠頭だった。
 「また香港に来た」
 どこか自分の居場所に戻ってきたような気がした。…

下川祐治『週末 香港・マカオでちょっとエキゾチック』(朝日文庫)

 

そして、下川祐治は、香港島のネオンサインを、この九龍半島の南端から、やはり、ぼーっと、ながめていた。


ぼくにとっては、夜景の風景ではなく(夜景もいいけれど)、午前から昼間の風景。

香港が「旅」の行く先から、生活するという「日常」へと変わっても、九龍半島の南端からながめる香港島は、「香港」を感じさせる風景だ。

日常として生きる香港でも、ぼくは、ときおり、九龍半島の南端のプロムナードから、香港島をながめる。

ビクトリア湾とそこに行き交う船を視界に、香港の今を身に感じる。

でも、何を考えるのでもなく、やはり、ぼーっと、ながめる。

そして、ぼくはしずかに確かめるのだ。

ぼくは今、香港にいる、ということを。

 

「九龍半島の南端」のプロムナードとそこからの風景は、人をひきつけ、人びとのなかに「香港」を刻むような磁場をもっている。

何をするわけでもないけれど、そこにいると、ぼくの「内面の磁場」も、ある意味、ととのえられるような、そんな場所である。

そして、ぼくは思う。

人は、そんな「場所と風景」をもって、日々を生きているのだ。

何をするのでもなく、逆に、しないことで、「内面の磁場」をととのえるような、そんな場所と風景を。