昔、テレビで黒澤明へのインタビュー映像を見ていて、「映画づくり」について、黒澤明は次のように語っていた。
「作るっていうか、生まれるんですね」
当時「ほんとうのもの」を求めながら、ぼくは「創造」ということの本質に<関心のアンテナ>がはられていた。
世界の人たちに「感動」を生むような仕事=作品の条件のひとつが、そこに開示されているように、ぼくには聞こえた。
それは、まるで、<自我の稜線>を越え出てゆくような精神の運動である。
そんなことを、芸術家の岡本太郎の「言葉」に耳をかたむけながら、思い出した。
岡本太郎の「言葉」として一般に流通したのが、「芸術は爆発だ」という言葉である。
この言葉と岡本太郎の出で立ちだけが、表層的に、岡本太郎に対する大衆イメージをつくっていった。
この言葉はいろいろに語ることができる。
その一つの諸相として、黒澤明の語る「生まれるんですね」ということと重層する創作プロセスのことを、「爆発」とう言い方で言語化したものと言えると思う。
「作る⇨生まれる」という創作プロセスにおける、いわば「⇨生まれる」の部分の出来事である。
岡本太郎は、彼と親交があったフランスの思想家ジョルジュ・バタイユの思想の本質のように、「どこまでもあふれでる生命力」でもって、何事にも「ぶつかる」存在であった。
だから、「芸術は爆発」ということは、「芸術」を超えて、<生き方の芸術>へとひろがっていかざるをえない岡本太郎の生そのものを意味している。
岡本太郎は、このような言い方をしている。
人間として最も強烈に生きるもの、
無条件に生命をつき出し、爆発する。
その生き方こそが、芸術だ。
岡本太郎『壁を破る言葉』(イースト・プレス)
このような、いわば<自我の稜線>を越え出てゆく人間とその作品が、世界のあらゆる人に届き「感動」を生んでいく。
岡本太郎は、「ほんとうに感動したら…」という言葉に続けて、「あなたの見る世界は色、形をかえる」(前掲書)とも述べている。
ぼくたちには誰にも、<自我の稜線>を越え出る力、そして感動する力が備わっている。
岡本太郎とバタイユと「フランスのパリ」という共通項をもつ、フランスの哲学者ベルクソン。
彼は「創造的活動」に触れる中で「精神の力」について、次のように書いている。
…もしも、精神の力というものが存在するのならば、その精神の力がほかのものから区別されるのは、まさしく自分が持っている以上のものを自分自身から引き出す働きによってではないでしょうか。…
ベルクソン『世界の名著:ベルクソン』(中央公論社)
黒澤明、岡本太郎、バタイユ、ベルクソンといった「師」たちが指し示してくれる<地点>に、ぼくはどこまでもあこがれる。