パリで、20代の岡本太郎が学んだこと。- 岡本太郎著『壁を破る言葉』にみる「のり超えの痕跡」。 / by Jun Nakajima


芸術家・岡本太郎の妻である岡本敏子が構成・監修を担当した、岡本太郎の著作『壁を破る言葉』(イースト・プレス)。

岡本太郎の「言葉」が、まるで芸術作品のように並んでいる。

目次は、「自由」「芸術」「人間」とシンプルに構成され、それぞれのテーマごとに、岡本太郎の「言葉」が存在感を放っている。

 

この「人間」の章における最後の方に、次の言葉が置かれている。

 

ぼくはパリで、
人間全体として生きることを学んだ。
画家とか彫刻家とか一つの職業に限定されないで、
もっと広く人間、全存在として生きる。
これがぼくのつかんだ自由だ。

岡本太郎『壁を破る言葉』(イースト・プレス)

 

1911年に生まれ1996年に他界した岡本太郎は、世界で生ききってきた人間である。

岡本太郎がパリに渡ったのは1930年だから、ほぼ20歳で、そこから10年ほどをパリで過ごしたという。

つまり、20代を、岡本太郎はパリに生きたのだ。

その経験から学びとったものとして、岡本太郎は上記のような言葉を残している。

この言葉に込められたこと。

人間として、ぼくはとてもわかるような気がする。

 

ぼくは20代の後半を西アフリカのシエラレオネと東ティモールに生き、そして30代を香港に生きた。

その過程において、「もっと広く人間、全存在として生きる」(岡本太郎)空間へと、ぼくは押し出されてきたように感じる。

気がつくと、「生きる」という、大きなテーマのところに行き着いている。

大きいテーマであることは承知で、しかし、強力な重力にひっぱられるように、この大きなテーマの前に立たされているようだ。

人間全体として生きること。

そのように生きる人たちに出会ってきたこともあるし、ぼくが<人間全体>で向き合わないとやっていけないような場に生きてきたこともある。

それでも、存在の小ささのようなことを感じてしまうときもある。

そのようなとき、岡本太郎は次のように言葉をかけるのかもしれない。

 

自分の限界なんてわからないよ。
どんなに小さくても、未熟でも、
全宇宙をしょって生きているんだ。

岡本太郎『壁を破る言葉』(イースト・プレス)

 

この著作は、タイトルにあるように、「壁を破る」ヒントがいっぱいにつまっている。

「ものを創る人」が必ずゆきづまり、壁にぶつかったときにこの書を開いてほしいと望みながら、岡本敏子は「あとがき」で次のように書いている。

 

…岡本太郎の言葉は簡潔だが、自身の血をふき出す壮烈な生き方に裏打ちされている。理屈ではない、説教でもない。彼のナマ身がぶつかり、のり越えてきた、その痕跡なのだ。…

岡本太郎『壁を破る言葉』(イースト・プレス)

 

理屈でもない、説教でもない、と岡本敏子は言葉をつぎ足しながら書いている。

人間全体として、全宇宙をしょって生きてきた岡本太郎の「ナマ身」にかけられた、ひとつの生。

岡本太郎が、パリで、何を経験し、何を感じ、どうのり越えたのか。

ぼくは、<ひとつの生の歴史>を紐解きたくなる。

この世界で「ナマ身」でぶつかればぶつかるほど、岡本太郎の「のり超えの痕跡」としての言葉が、この心身の深いところに響いてくる。