「思えば危うし(思即危)」(見田宗介)。- 「明るく安全な世代」における学びと思考。 / by Jun Nakajima


社会学者の見田宗介が2000年代初頭に書いた「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」という論考を読みながら、ぼくは勝手に「叱咤激励」される。

1990年代から2000年代初頭にかけての大学生たちを眼にしながら、「思想の危険」(『群像』発表時の当初のタイトル)ということについて書いた文章だ。

ぼくも同じ時代に大学生であったから、ある意味において、ぼくも「当事者のひとり」とも言うことができる。

結論的な段落で、見田宗介は、「思えば危うし」(思即危)と書いている。

そこに至る論考の道筋を追いながら、「思えば危うし」を見ていくことにする。

 

論考の出発点は、孔子の一節である。

 

「学んで思わざれば即ち罔し(くらし)。思うて学ばざれば即ち殆し(あやうし)。」(孔子)

 

孔子の言説には小さい頃から基本的に反発を感じてきた中で、この一節だけは納得するものであったと、見田宗介は言う。

そして、大学での仕事という経験が、この一節に重なっていく。

 

 大学の仕事をするようになって、この断片への共感は一層確実なものとなるように思えた。いくらよく勉強をしていても、自分の頭で考えない奴は全然ダメである。けれども反対に、いくら自己流に「考えて」いても先行の理論をきちんと押さえていない奴も、「大発見」等と称して的外れの議論をとうとうと展開したりする。学んで思わざるの徒も困るが、思いて学ばざるの徒も困ったものだ、と。

見田宗介「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店

 

しかし、当時の状況は、見田宗介の納得を「震撼せしめる事態」として起こった。

当時の大学生たちは、どちらのタイプにも当てはまらず、「学んで」いないし、「思うて」いるようにも見えない。

孔子の言葉を応用して言うと「暗く、しかも危うい」ということだけれど、当時の学生たちは、暗くはなく「明るく」、また危うくはなく「安全」である、と。

他方、1970年前後の大学生たちは、「危うい」学生たちばかりであったけれど、充分にまた過剰に「思うて」もいて、はるかに多く「学んで」もいたという印象を、見田宗介は経験の記憶から引き出している。

見田宗介は、こう述べている。

 

 少なくとも二〇世紀後半の日本において興亡する諸世代を見わたしてみた限りでは、危険な世代の青年たちほどよく学び、また多く思考していた。安全な世代の青年たちほど一般に余り学ばず、また思考していない。
 …論理的に整理してみるならば、よく思考する青年は学ばなくても危うく、学んでもまた危ういということになる。考えていない学生は、学ばなくても学んでも危うくはないということになる。つまり、「危うい」ということは人間が「思う」ということ、「考える」ということの結果なのである。

見田宗介「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店

 

そうして、見田宗介は、「思えば危うし」(思即危。)と端的に記すことになる。

そんな見田宗介はと言うと、2000年頃に『危険な思想家』という本を書かないかと話がもちかけられたが、「じぶんが危険な思想家だからという理由」で、当時は断ったという。

 

この論考を読みながら、ぼくもその粒である「明るく安全な世代」の学びと思考ということを考える。

試験勉強・受験勉強という「勉強ではない勉強」にすっかりと思考の芽をそぎとられてきたぼくの学びと思考。

しかし、芽がつぎとられても「思考の根」は生きてきた。

ぼくの「思考の根」は、アジアへの旅、ニュージーランドでの生活、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港などを経ながら、学ぶことと思考することの芽をいっぱいに地上に出している。

空間を移動しながら、しかし実質において「時間」を移動しているような現実にも出会いながら、さらには次なる時代がひらかれようとしていく中で、ぼくの思考の芽は育ってきた。

でも、「危うい」というところまで果たして思考できているだろうか、学べているだろうか、という想念がどうしても浮かんでくる。

「危険な世代」の青年たちのこと、「危険な世代」の青年の学びと思考の真剣さと真摯さを思ってしまう。

「思えば危うし」という真実の前に、ぼくは自分のことを「危うし」と言えるだろうかと疑念をいだく。

『危険な思想家』という本を書くことの依頼が来たら、ぼくは引き受けてしまうだろう。

だから、ぼくは「思想の眩暈」という文章を前に、自分で勝手に、自分を「叱咤激励」している。

ぼくの内面に存在する「危険な思想家」である見田宗介というぼくの「師」が、真剣で真摯な眼差しを、ぼくにおくっている。


追伸:
昨日取り上げた「ブルース・リー」(李小龍)は、「危険な時代」における「思えば危うし」の人物であっただろうと、ぼくは思う。