海外(日本の外)にいながら、「日本人・日本」ということをよく考える。
「海外で仕事をする」ということにおいては、日本人の仕事の仕方のことをよく考える。
今現在という日々の現象の中でいろいろと考えるのだけれど、他方で「歴史」をひもとくことで見えてくることもある。
社会学者・見田宗介の初期論考(1960年代から1970年前半に書かれた論考)に、「日本の近代化」をテーマとしながら、「明治時代」にまでさかのぼる論考がある。
「見田宗介著作集」の刊行により、これらの論考を手にしやすくなった。
見田宗介の著作は、見田宗介がメキシコにある大学にいく1970年代半ば以降、内容と文体に大きな変化をみせる。
初期論考は、この変化よりも前に書かれた論考だけれど、今でも、多くの示唆に富む内容である。
日本人・日本を見つめ直していく上で、「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」という見田の論考に、ぼくはひきつけられる。
この論考で、見田宗介は「日本近代の主導精神」として、「立身出世主義」を挙げている。
マックス・ウェーバーが、西欧近代の主導精神として「プロテスタンティズム」にあったことを論じたが、それでは、日本ではどうだろうかと問い、「立身出世主義」であると、見田宗介は考える。
そして、「立身出世主義」の特質と、それによって形成された日本の「近代」社会がはらんだ矛盾を、明晰に論じている。
導入部分で、見田宗介は、日本の小学校・中学校・高等学校の卒業式でうたわれる「あおげば尊し」の歌詞に注目している。
歌の一節に、「身を立て名を挙げやよはげめよ」という句がある。
この「身を立て名を挙げ」という思想は、江戸時代の農民や町民には教えられることはなく、江戸における封建の世においては農民は農民というように分をわきまえるものであったという。
「天性同体ノ人民賢愚其処ヲ得」ベシとする明治元年の伊藤博文の理想が、当時どんなに革新的でありえたことか、すなわち人をその門地家柄によってではなく、能力と業績によって位置づけるという考え方が、当時どんなに斬新でありえたことか。…
見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店
「身を立て名を挙げ」は、それまでの身分的な固定感をうちやぶっていく思想であったと、見田宗介はみている。
「あおげば尊し」の歌は、明治憲法や教育勅語が発布される前の明治17年に、文部省の歌集に現れており、当時急速に発展していく「小学校」という制度(だれもが参加できる!)において、「身を立て名を挙げ」は子供たちのなかに焼きつけられていくことになる。
ちなみに、当時出版された、サミュエル・スマイルズの著作『Self Help』の日本語訳は、「西国立志論」というように「立志」と訳されていることにも、見田は「身を立て名を挙げ」の思想を見ている。
論考の、この導入部分だけでも、さまざまに考えさせられる。
ぼくたちが歌ってきた「あおげば尊し」、「能力と業績」の萌芽、「小学校」という制度、「Self Help」の捉えられ方など、今の日本や日本人を考えていく上でもさまざまな示唆に充ちている。
この導入部につづき、明治の体制への取り込み、日本の「根性」論、「ステップ・バイ・ステップ」の考え方などが、論じられていく。
それらは決して明治の時代のことに限ることではなく、今も、日本や日本文化や日本人の(したがって、ぼくの)底流に流れるものたちだ。
これらを知ったからといってすぐに何かが変わるものではないけれど、なんらかの「道」に光をあててくれるはずだ。