「目が輝くこと」の輝き。- 指揮者Benjamin Zander、そして野口晴哉が語る「目の輝き」。 / by Jun Nakajima

「目が輝く」という言葉は、それを語る人、語られる文脈、語られる場などによって、言葉の真実性が異なって現れる。

例えば、「目の輝き」などと学校のパンフレットなどに記載されていたら、それは「シラケ」を誘ってしまうような言葉の響きを鳴らす。

それが、クラシック音楽の指揮者Benjamin Zanderが、熱をこめて語ると、全然異なった「色彩」を帯びて、ぼくたちの前に現れる。

TEDトークでBenjamin Zanderが語った「成功の定義」、「It’s about how many shining eyes I have around me.」。

ほんとうに「目の輝き」を追い求め、ひろげてきたBenjamin Zanderだからこそ、この言葉は真実さをもつ。

 

整体の創始者と言われる野口晴哉の著作の中で、「目の輝き」を野口晴哉が語るところがある。

野口晴哉は、七夕に際して、「願いごと」を叶えることの秘訣(=論理)を、「心」の機能・役割の側面から強調していく中で、「目の輝き」について語る。

野口晴哉が扱うのは「身体」でありながら、だからこそ、野口晴哉は「心」の作用をつぶさに観察してきたのである。

 

 まあともかく、人間が心によって生きる道を自分で開拓しているのだということに気付いて、そういう人が多くなれば、私としては、大変幸せです。…新しい欲求がみんなになくなって目が輝かなかったら、そういう人達に囲まれて生きているのは厭です。目が輝いている人が多ければ、私も一生懸命生きます。
 近頃、幼稚園に行っている子供まで、目の輝きを失っているのが多い。小学校へ行くともっと多い。教え込まれて、自分の欲求を見失ったからだと思うのですが、子供がそういうようではいけない。もっと、皆さんで力を合わせて、子供の目が輝くような、ついでに自分の目も輝くような、自分の周囲に目の輝いた人ばかりになるような世界を造ろうではありませんか。…

野口晴哉「人間の願いー七夕祭にてー」『大絃小絃』全生社

 

ここで「近頃」というのは、最近のことではない。

おそらく、1970年前半頃のことと思われる。

野口晴哉は、人の「欲求」と「目の輝き」をつなげている。

 

人の欲求というと、現代の文脈では自己中心的なイメージがまとわりつくようにも感じられるけれど、ここでは心から描かれた欲求である。

頭でつくられていくような欲求ではなく、空想として描かれ、言葉化されていくような欲求である。

現代の文脈では「好きなこと」という表現のもとに、「(狭い意味での)好きなこと」に物事が閉じ込められてしまうように語られることもあるけれど、そうではなく、もっと広々とした欲求である。

それは、身体の底からわきあがる欲求である。

だから、「教え込まれたこと」を一旦は横に置いて、野口晴哉が言う「体の知恵」を作動させることである。