<空間的な移動>による「人生41年」環境を経験したこと。-「なにを書こうか」とひらく、糸井重里の文章との「対話」から。 / by Jun Nakajima

「なにを書こうか、ずっと迷っていた。…」と、糸井重里は今日、2018年10月30日の「今日のダーリン(糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの)」を書き始めています。

糸井重里が『ほぼ日刊イトイ新聞』上で、毎日書き続けている「エッセイのようなもの」ですが、糸井重里はしばしば、「なにを書こうか迷う」のを、ぼくたちは目にします。

ぼくはこのブログで「なにを書こうか」と思っているときに、iPhoneで『ほぼ日刊イトイ新聞』アプリを立ち上げ、トップに掲載されている「今日のダーリン」を見たりすると、結構な割合で、糸井重里氏が「なにを書こうか」と迷っている文章の出だしに出会うのです。

この「迷い」は、迷いというからには、まったく書くことがないということではなく、あれもこれもあって(あるいはそのように予感して)、でも、このタイミングで、どのように書くのか、あるいは納得のいく仕方で書くことができるだろうかなどを考慮しているうちに「はまってしまう」袋小路のようなものです。

ぼくの場合は、トピックそのものがしぼりきれないこともあって、たとえば「今日のダーリン」などに訪れて、あるいは本を読んでみて、じぶんとそれらの文章のあいだの<間隙>から生まれてくるようなものを探りあてようとしたりするのです。

つまり、ある種の、他者との「対話」から、書くことが立ち上がってくるのをうかがうわけです。

それは、主体の表現というかたちの「書くこと」ではなく、「対話」によって書いていくことです。


そんなわけで、糸井重里の書いたものを読んでいたら(書かれたテクストと仮想敵な対話をしていたら)、思いつくことがあったのです。

取り上げられていたのは、歴史をさかのぼったときの「時間感覚と人生」です。

人生100年時代といわれるようになりましたが、(歴史にあったように)仮に人生が30年の時代にいると考えたとしたら、一年、一月、一日というものの時間感覚はどのように違うのかと、糸井重里はじぶん自身に問いながら書いています(なお、「一年、一月、一日」というように、ここに「週」が入っていないのは、おそらく意図的なのだと推測しますが、「週」が一般的に使われるようになったのは「近代」に入ってからです。人生30年時代は近代以前のことでしょうから、これは「正しい」わけです)。

こうだろうか、ああだろうかと書きながら、とにもかくにも人生100年時代とは「ものすごいちがい」を感じることになるわけです。

このことはあたりまえではあるのだけれども、この問いを問う人それぞれの「実感の度合い」あるいは「想像力のひろさ/深さ」によって、ちがいの感覚のされ方はさまざまであるものだと思います。


そのように読みながら、ふと(思い出しながら)考えていたのは、<空間的な移動>によって、ぼくは「人生41年」のところに生きていたことがあるのだということでした。

糸井重里は想像力を駆使しながら<時間的な移動>(昔だったら…)という思考のなかで考えて書いたのですが、ぼくはこの現代における<空間的な移動>で、実際にその「場」にいたわけです。

それはどういうことかというと、ぼくは、2002年、当時内戦が終結したばかりの西アフリカ・シエラレオネに住んでいたということ、シエラレオネでは当時平均余命が41歳程度であったのです(シエラレオネでは現在ようやく、平均余命は51歳程度までに至っています)。

もちろん、ぼくは外部からやってきて1年に満たない時間を過ごしただけですし、また平均余命の算定方法などからもいくらか差し引いて考慮すべきことがあるのだと思いますが、それでも、この現代という同時代において、空間を移動することで、ぼくは「人生41年」の環境に生きていたことになります。

つまり、「実感」として、あるいは実感という感覚の土台となる経験において、ぼくはある限度のなかでその経験をいくぶんか得ているわけです。

「人生41年」から見れば、当時のぼくは26歳から27歳であったから、そこから15年ほどで41歳に到達し、また今の時点ではすでにぼくはその41歳を超えるところにいることになります。

シエラレオネにいた当時、山本敏晴さんの『世界で一番いのちの短い国ーシエラレオネの国境なき医師団』(白水社、2002年)という著作もあり、ぼくのなかでも、そのような環境にいるんだということは明確に感じていました。

そのような経験を書かなければと思うのですが、今すぐに書けるようなことではないことを、書きながら思うところです(<空間的>に今もそのような環境があることは、少なくとも、知っておくことであると思います)。


このようなことを、糸井重里の書いたテクストとの対話のなかで、ぼくは考えていました。

さらに、糸井重里が最後のところで、「…ぼくは、いまも1000年生きるつもりで日々を過ごしています。」と書いている箇所に至って、「仮想的、人生30年時代」思考からの転回に、いくぶんかのおどろきのようなものを感じると共に、でもそのこと(糸井重里の生きかた)がとてもすんなりとわかるような気がしました。

人生を「短く」想定しようと、あるいは人生を「かなり長く」想定しようと、いずれもが、<今、ここ>の生をどのように生きるのかという問いと言動に凝縮されているのだから。