「電車」の風景(あるいは、「電車のない」風景)がある。
「あたりまえ」のことだけれど、住むところによって、「電車」のある風景があり、「電車」のない風景がある。
ニュージーランドには電車が通っているけれど南北すべてに通じているわけではないし、西アフリカのシエラレオネには(昔はあったようだが)電車は走っていない。
東ティモールにも電車はない(ぼくがいたころの東ティモールには車道に「信号機」さえなかった)。
ニュージーランドでも、シエラレオネでも、東ティモールでも、そのほとんどは、自動車(ニュージーランドではバスも)による移動であった。
ここ香港には、香港MTR(港鉄)がそのネットワークを拡張しながら、香港の人びとの活動のけっして欠かせない部分となっている。
ネットワークといえば、今年(2018年)の9月には「広深港高速鉄道」(広州から深セン、香港に至る高速鉄道)が新たに開通している。
MTRがどれほど香港の日常に入り込んでいるかは、10月のある日の午前、香港の4つの鉄道車線においてシステム不具合のため「マニュアル運行」となり大混乱となったことからも、うかがうことができる。
こんな具合に、いろいろなところに住んでいると、電車のある(電車のない)風景があって、そこの場所にいるときには「ふつうのこと」のように見えるのだけれど、その場所からはなれたり、あるいはその風景のなかで「心象世界」をすきとおらせてゆくと、ときに不思議なことに思えてくるのである。
そんなふうにして「香港MTR」のことをかんがえていたら、電車が到着する「時間の表示」も、たとえば東京のそれとは異なるのだと、「あたりまえのこと」だけれども、改めて「見えて」くるのであった。
東京では、プラットフォームの電光掲示板には「何時何分」の電車ということがわかるようになっている。
日々の移動は、この「何時何分」にかけられていて、生活や活動がこの「何時何分」によって動いてゆく。
こんなことを考えていると、今年の5月にBBCのニュースで「Japanese train departs 25 second early - again」(BBC News)という見出しの記事に出くわしたことを、ぼくは思い出すことになる。
そのニュースは、日本の鉄道会社が、電車が25秒早く駅を出発したこと(数ヶ月の内に同様のケースとして2件目)について謝罪したことを伝えていた(もちろん言外の驚きとともに)。
香港MTRでは、ぼくの知るかぎり、「何時何分」という表示はないし、時刻表も(始発・終電を除いて)ない(システム上はあるのだろうけれど、どこにも記載されていないから、電車の利用者としては正確にはわからない)。
中国語と英語それぞれの表示が、代わる代わる、あと「何分」を表示し、到着直前に「到着」の表示がされる。
香港MTRのアプリのひとつが『Next Train』という名前と機能でつくられているように、「次の電車」がいつくるのか(何分でくるのか)が、肝要であるのだ。
この表示のされ方も、このように「次の電車」を待つ仕方も、ぼくは今ではごくごく「あたりまえ」のこととしながら電車を利用しているけれど、東京に住んでいたときとは「異なる」ということを思う。
そして、そう思いながら、この「異なり」が、どのような「時間感覚」や「生活感覚/生活様式」の<違い>をもとにして現出しているのか、あるいは、これらの「異なり」が、(ぼくを含めて)ここに住む人たちの「時間感覚」や「生活感覚/生活様式」をどのように醸成していくのか、ということを考えてしまう。
東京はさまざまな鉄道路線(鉄道会社)が存在しているから、それらの「つながり」をつくるには、「次の電車」ではなく、「何時何分」という<時刻>が要請されるようにも思う。
ただし、それだけだろうか、という問いがわいてきては、ぼくのなかに「仮説」をつぎからつぎへと生んでゆくのである。
そのような「仮説」を頭のなかでゆらせながら、ぼくは、香港の「電車の風景」を見る。
それにしても、「何時何分」によって社会システム(および生活システム)のすみずみまでが編成されていることについては、日本の外に住んでいると、ますます驚嘆させられるものだ(それがよいかどうかなどは別のこととして)。