「メタ明晰」(真木悠介)。- 真木悠介の思想・思考の道具箱から。 / by Jun Nakajima

少しまえに、人間の知性の次元をあげてゆくプロセスをとりあげ、ブログ「どこまでもつづく「メタ認知」の永久運動から。- 人間の知性の次元をくりあげる。」を書きました。

きっかけのひとつは、思想家の内田樹の明晰さに惹かれたからでした。

 人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。
「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか?この言明が真であるという根拠を私はどこに見出すのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ……(以下無限)。
…「いや、これでいいんだ」と、この無限後退(池谷さんはこれを「リカージョン」<recursion>と呼んでいる)を不毛な繰り返しではなく、生産的なものと感知できる人がいる。
 真に科学的な知性とはそのような人のことである。

内田樹『街場の読書論』潮新書

この箇所を読みながら、「そうだよなぁ、そうだよなぁ」と心のなかでつぶやいていたのでした。

そして、この文章に触発されて、いわゆる「メタ認知」(対自化された認知)ということの、永久運動ということを思ったのでした。

この「永久運動」(あるいは、内田樹の名づける「無限後退」)を不毛だと思うのではなく、生産的なものと感知できる人を「真に科学的な知性」だと内田樹は書いているわけですが、ぼくが、このことを、方法として、あるいはより深いところで「生きかた」として<意識的に>獲得したのは、真木悠介(見田宗介)の『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)からでした(内田樹の文章とは、表面上の文脈やニュアンスはもちろん異なっていますが)。

ふたたび(と言っても、いくどもいくどもの「ふたたび」ですが)『気流の鳴る音』をひらいて、「明晰さ」に関する文章群、とりわけ「対自化された明晰さ」という文章を読んでいるときに、そのことを思い出したのでした。

『気流の鳴る音』は、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」としてインディオの世界に出会うことを目的とした本(冒険)で、1960年代から1970年代によく読まれていたカルロス・カスタネダの作品を素材としながら、カスタネダの作品群に登場するヤキ族のドン・ファンによる教えを軸に展開されてゆくものです。

ドン・ファンの「教え」で描かれる、到達すべき理想の人間像は「知者」と呼ばれ、その旅の途上で、「四つの自然の敵」があるといいます。

恐怖、明晰、力、老い、の四つです。

このなかで「明晰」ということがあり、ふつうに考えれば「明晰」は敵ではなく、とりわけ「知者」にとってはむしろ味方ではないかと思うところですが、「明晰」が敵として想定されているわけです。

ドン・ファンの「教え」の言葉を丹念にひろいながら、真木悠介は、つぎのように書いています。

 ドン・ファンは知者の「第二の敵」としての明晰について、こうのべている。
「心の明晰さ、それは得にくく、(第一の敵である)恐怖を追い払う。しかし同時に自分を盲目にしてしまう。それは自分自身を疑うことをけっしてさせなくしてしまう。」(「教え」九九)
「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。…
 人間は<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の要求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)

この認識のうえに、真木悠介は、「それでは「明晰さ」からどこへゆくのか?」と問いながら、<対自化された明晰さ>という地点に着地(固定的な着地ではなく、いったんの着地)することになります。

「明晰さ」の地点から、「不明晰さ」にゆくのでもなく、また「非合理性」にゆくのでもない。

<対自化された明晰さ>については、真木悠介の(うつくしい)ことばを、やはりひろっておきたい(読むうえでは、「 」と< >の違いに注意されたい)。

「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
 <明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである*。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)

この<対自化された明晰さ>の注記として、真木悠介は、メタ数学論とメタ言語論との類比から、<明晰さについての明晰さ>、あるいは「メタ明晰」とよぶことができるとしています。

20年ほどまえに、ぼくが、なんどもなんども、読んだところです。

そうすることで、この「メタ明晰」は、ぼくが、考えることの、あるいは生きることの「道具箱」に収められることになったわけです。

発展途上国や開発のことを学んでいるときも、あるいは実際に発展途上国や紛争国の「現場」で考えているときも、さらには、異文化におけるマネジメントの課題に対峙しているときも、どこかで「メタ明晰」の次元が作動しつづけていたのだというふうに、ぼくは振りかえりながら思います。

それぞれのフィールドで、いったんは「明晰さ」を手にしながら、でもそれに耽溺するのではなく、そこにはいつもなんらかの「疑問」がさしはさまれることになったわけです。

この疑問を起点として、あの「永久運動」がやってきては、さらなる「学び」への衝動が絶えず発動されるのです。