年齢・年代による生き方というもの、とくにぼくが置かれている40代の/からの生き方をかんがえてみたりする。
いろいろな書籍や雑誌が、年代別のテーマをあつかったりしているし、村上春樹も四十歳をひとつの「分水嶺」として作品を完成させていった。
ときに、年代別で見ることは、人びとの共同幻想ではないかと思ったりもする。
あるいは、心理学者エリクソンの有名な「発達段階論」のようなものが思い起こされる。
心理学者といえば、ユングの言う「人生の午後」ということも気になってくる。
しかし、時代は「100歳時代」に突入し、40歳の「立ち位置」も生きることのなかでは変わってきている。
また、ナマコ研究者の本川達雄『人間にとって寿命とはなにか』(角川新書)の帯に書かれた、「42歳を過ぎたら体は保証期限切れ」というコピーに、42歳のぼくはつい反応してしまう。
ともあれ、年齢・年代論は、人間であること(生物・動物としての人間、社会存在としての人間、文化に生きる人間など)の諸相が、いろいろな場面で、いろいろな仕方で、語られているのだと思う。
糸井重里は、「AERA x ほぼ日刊イトイ新聞」の企画(40歳の特集)において、「ぼくの話が40歳の誰かに届けばって」思いながら、言葉を紡いでいる。
AERAに掲載された糸井重里の「40歳へのメッセージ」は、糸井重里のあの文体で、長くはないけれど、そこに込められたもののとてつもなく大きなものを感じさせる言葉たちを、「40歳の誰か」に届けている。
きりとってしまうと、何かがうすまってしまうので全文を読むのがよいけれど、ここでは一部をきりとる。
ぼくにとって40歳は25年前。
暗いトンネルに入ったみたいで
つらかったのを覚えている。
絶対戻りたくない、というくらいにね。
…
40歳を迎えるとき、多くの人は
仕事でも自分の力量を発揮できて、
周囲にもなくてはならないと思われる存在になっていて、
いままでと同じコンパスで描く円の中にいる限りは、
万能感にあふれている。
でも、40歳を超えた途端、
「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。
…
「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。
その「理由」について、ここでは糸井重里はなにも触れていない。
「理由」は人それぞれであるし、何かやむにやまれないものが現象する仕方も、人それぞれであろう。
理由はともあれ、糸井重里は、別のコンパスで描いた円の中に入っていかなければならず、そこでは役に立たない存在だと突きつけられるのだと、自身の「暗いトンネル」の経験の記憶に降りながら、その暗い深い場所から言葉を取り出している。
彼自身もコピーライターとしての万能感がくずれていき、仕事だけでなく、夫婦関係や子育て、親の介護や自分の病気などでも大変な時期にさしかかっていく。
糸井重里は、このようななかでもがきながら、「ゼロになること」を意識するように心がけたという。
仕事においても、あるいは趣味においても。
そうして歩んできて10年後、つまり50歳のときにつながっていく。
それが、「ほぼ日刊イトイ新聞」として結実していくことになる。
現在の日本の40歳は「団塊ジュニア世代」。
団塊の世代である糸井重里は、「「食いっぱぐれることがない時代」を生きていることをもっと利用したほうがいい」(前掲リンク)と、団塊ジュニア世代にアドバイスする。
暗いトンネルをぬけてきた糸井重里は、トンネルをぬけながら「その先に何があるのか」を教えてほしかったという。
そうして、言葉たちを届ける。
言葉たちは、40歳の糸井重里に向けられた言葉であることで、そこに大きな重力を宿している。
その重力に引かれるようにして、ぼくは糸井重里の言葉に耳をすます。
シンプルな言葉たち、しかしそこに語られない言葉たちの総体の声に、耳をかたむける。
ところで、この特集で、糸井重里は、宮沢りえと対談をしている(「試練という栄養ー宮沢りえさんにとっての40歳」)。
男の厄年である40歳にふれる糸井重里に対して、宮沢りえは、最近よく言っていることとして、「試練は、ごほうび」であると語っている(上記の「第2回:試練は、ごほうび」)。
苦難は経験したくないもしれないけれど、苦しみや悲しみを経験して知っている人のほうが、豊かな人であると思うと、宮沢りえは糸井重里に向かって言葉を伝える。
「試練は、ごほうび」。
糸井重里は、この言葉に反応して、ポンと手をたたいたのと同じく、ぼくは、心のなかでポンと手をたたいた。
「試練は、ごほうび」。
とても素敵な表現だし(書き言葉として「試練は」の後に「、」が入るリズムもいい)、そう言える生き方は魅力的だと、ぼくは思う。