人間関係を「深さー広さ」という軸をたててみるときに、精神科医の森川すいめいによる、「その老人の変わった日」(『現代思想』2016年9月号、青土社)というエッセイ(記録)に、いろいろなことをかんがえさせられる。
森川すいめいは、80歳代の女性である田村さん(仮名)が、人間関係の軸を転回させていくことで変わっていった経緯を書いている。
森川の言葉では「自殺希少地域における対話する力を実践し続けた田村さんの変化の記録」である。
田村さんが森川の外来におとずれたときは「こころがめいっぱい」な状態で、夫婦二人暮らしのなか夫を亡くし、これから生き方がわからない状態であったという。
森川は、「悲しみと、絶望と、不安と、自分を責めることば」を田村さんの語りから聴きとる。
その田村さんが、元気に、近所の人たちと「支え支えながら」一人暮らしをするまでに変わっていく。
森川すいめいの仕事におけるインスピレーションは、自殺希少地域の研究(岡檀『生き心地の良い町ーこの自殺率の低さには理由がある』講談社)と、それらの地域への実際の「旅」である。
岡の調査で印象深かったものとして「近所づきあいの意識」に関するものがあり、その調査結果はふつうに思われることとは異なっていた。
自殺希少地域では、人と人が助け合い、緊密に・親密に支えあっていると思われがちだが、調査結果は、近所づきあいは「立ち話程度、あいさつ程度の関係」という回答が八割を超えていたという。
逆にそうではない地域では、四割強のひとが互いによく協力し合っていると回答しているという結果だ。
森川はそこから、地域によってこのような人間関係の差が生まれたことを自問し、仮説のひとつとして、「立ち話慣れ、あいさつ慣れをしているか」に目をつけることになる。
田村さんの外来がつづくなか、田村さんは「孤立してはいけない」というラジオで森川が話す言葉をてがかりに、「隣近所にあいさつ」をするようになっていったという。
「近所づきあいがほとんどない」から「あいさつ程度」に変わり、田村さんは、そのなかで近所に同じように「孤立している人」たちを知り、支え支える関係が生まれていく。
人間関係が疎で多であることは、ひとが多様であることをからだで感じることになる。いろいろなひとがいると知ることで、何かを決めつけたり狭い世界で思い込んだりしなくてもよくなる。多様さを知り、それを包摂できることは生きやすさの要となる。
田村さんの近所づきあいは、あいさつ程度、立ち話程度に変わった。
田村さんは、孤立するひとたちと複数出会うことになった。それは誰かの話が誰かの役に立つことを知ることにもなった。…
…田村さんは、その気質が変わったわけではなかった。考え方も生き方も変えなくてもよかった。ただ、緊で少な人間関係を、疎で多な人間関係に変えただけだった。…
森川すいめい「その老人の変わった日」『現代思想』2016年11月号、青土社
このエッセイ(記録)を読んでいると、「ただ緊で少な人間関係を、疎で多な人間関係に変えただけ」ではなく、行動や思考のなかで田村さんの考え方や生き方も変わっていたのだとぼくには見えるけれど、それはあくまでも「田村さんの物語」であるから、さらに掘り起こしていくところではないかもしれない。
森川の言う「多様さ」ということについて、人がその内面に多様性に充ちた「世界」をつくっていくことの大切さは、言い過ぎることはない。
「緊で少な人間関係」は人間社会としては共同体的な関係であり、「疎で多な人間関係」は市民社会的な関係である。
ただし、ここでは単純に「共同体から市民社会へ」ということではなく、共同体が解体し、また市民社会における「核家族」の解体のうえで、さらにどこに精神面を支える人間関係をきずいていくのかという課題とつながっている。
特に若い世代による情報テクノロジーを基盤とするネットワークによる人間関係の構築は、さまざまな試行錯誤のうちにおかれていて、それらの経験は人間関係が技術とシステムだけでどうにかなるものではないことを教えてくれている。
その試行錯誤とは角度を異にしながら、「あいさつ程度・立ち話程度の近所づきあい」は、ひとつの方向性をひらいている。
「あいさつ」とは、その原型において、互いの<存在>に向けられる祝福のようなものとしてあると、ぼくは思う。