「そんなに急いで、どこにいくのだろう?」と、社会や世間のようなものに、疑問を抱いていたことがあった。
日本が高度経済成長を果たし、効率を追求しつづけていた1980年代から1990年の中葉にかけて、その時代に10代から20代を過ごしたぼくは、人や社会は「そんな急いで、いったい、どこに向かっているのだろう」と問わずにはいられなかった。
「どこに向かっているか」もわからないままに、「将来のため(今…しないといけない)」という呪文が、加わってくる。
それでも、社会のレールから完全にはずれてゆくことはなく、ぼくは大学に進学する。
大学2年を終えて、ぼくは休学して、ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに住むことにした。
前半はオークランドに滞在し、日本食レストランで働き、後半はニュージーランドの旅に出た。
その旅で、ニュージーランド南島のあるところでトレッキングをしているときに、ぼくは、ぼくの身心を射抜いていくような「言葉(質問)の贈り物」を得ることになった。
ニュージーランドの山はよく管理されていて、山小屋も整備されている。
これら山小屋を移動していくことのできる形に、トレッキングのコースがつくられている。
あるとき、ぼくは山小屋を早朝に出発し、歩みを進め、昼過ぎには次の山小屋に到着することになった。
夕方くらいに一人のトレッカーが到着する。
スウェーデンから休暇で来ているという彼女は、ぼくと言葉を交わすなかで、ぼくに次のように尋ねた。
「ジュン、あなたは道中何を見てきたの?」
彼女は、道中、道の脇に咲く花や草木、あるいは彼女をむかえる鳥たちに魅せられながら、時間をかけて、どの道程を楽しんできていたのであった。
ぼくは次の山小屋という「目標」に目を向けて、道中をかけぬけてきてしまっていたから、返す言葉を失ってしまった。
この言葉(質問)は、ぼくのなかに今でも光源として輝きをもっている。
「目標」に向かって、その道程を見ることもせず、一心不乱に向かってゆくということ。
その目標がただの「山小屋」であったとき、その一心不乱さに、どんな意味があるのだろう。
ぼくは、「将来のため」に<今>を疎外していくことに疑問をもちながら、しかし、山を歩くということのなかでさえも、「山小屋への到着のため」にその<道程>を疎外してしまっていた。
作家である沢木耕太郎の、比較的初期の著作に『バーボン・ストリート』(新潮文庫)というエッセイ集がある。
素敵なエッセイのなかのひとつに、「風が見えたら」というエッセイがある。
世界での優勝経験もある世界レベルの女性ランナーが、マラソン大会を走りながら、とつぜんに、コースのまわりにひろがっている「風景」がいっぱい、目に入ってくるのを感じてしまう。
その風景に懐かしい思い出も重なりながら、彼女は「これで充分」という感覚を覚え、他のランナーに追い抜かれても気にならなくなってしまった。
その大会の優勝者は、インタビューのなかで、沿道の「風景」はまったく見えていなかったということを読んだ彼女は、自身も以前は「風景」が見えていなかったことに気づき、じぶんは「負けるべくして負けたのだ」と思ったということを、沢木耕太郎はエッセイにまとめている。
沢木耕太郎は、東京五輪で銅メダルを獲得した円谷幸吉選手にも触れながら、円谷は「風を見たことがなかったにちがいない」と書いている。
「一心不乱のまま」の者と、「風が見えて」しまった者。
そこに、「あなたは道中何を見てきたの?」という言葉が、ぼくのなかで重なってゆく。
ぼくは、風の予感にみちびかれながら、風をみようとしてきた者、生きていこうとしてきた者であるかもしれないと、思う。
あるブログを読んでいたら、沢木耕太郎のこのエッセイにふれながら、オリンピックのメダリストである有森裕子を重ね合わせて読んでいる方がいた。
その文章を読みながら、ぼくは、東ティモールに住んでいたときに、NGOの活動で東ティモールを訪れた有森裕子氏にお会いしたことを、思い出した。
2000年代の半ば頃のことである。
その記憶をたぐりよせながら、確かに、有森裕子氏は「風を見た」のではないかという想念が、ぼくのなかに湧き上がってくる。
その想念はこの文章を書きながらわきあがってくるものであるけれど、10年以上前、有森裕子氏にお会いしたときも、ぼくは同じことを感じていたかもしれないと、思う。
ぼくの「そんなに急いで、どこにいくのだろう?」という問いは、あのニュージーランドの旅から日本に帰ってから出会った本によって、問いがひらかれていくことになる。
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)のテーマ、そこに記された思想と言葉が、ぼくのなかの光源となり、今でもぼくの生の道ゆきを照らし出してくれる。
メキシコのヤキ族のある老人の生きる世界を描く、カルロス・カスタネダの著作シリーズを読み解きながら、真木悠介は次の言葉に光をあてる。
ドン・ファンというこの老人にカスタネダは十年ほども弟子入りしてインディアンの生き方を学ぶ。その教えの核のひとつが「心のある道を歩む」ということだ。
一冊目の本の扉のところに、美しいスペイン語の原文とともに、ドン・ファンの言葉が引用されている。
➖わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつがずに、目を見ひらいてわしは旅する。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
<心のある道>を旅すること。
それは、よく言われるような、「楽な道か、苦難の道か」という対比でもなく、そのような近代・現代社会に埋め込まれた観念をもすりぬけていく。
道のゆくさきではなく、道がうつくしさに祝福されているか、心のある道ゆきかを、「知者」は問題とし、<心のある道>を選ぶ。
ぼくも、<心のある道>を生きていきたい。