人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。
その「とき」の前に、(世間的な観点において)「何か」を達成してきた人もいれば、とりわけ達成していない人もいる。
いずれにしても、ぼくは「のりこえてゆく」ことに関心がある。
その「のりこえ」のひとつの方法(また形態)として、「自己否定・自己批判」ということを踏み台にすることがある。
社会学者の見田宗介は「自己批判の系譜」という短いエッセイで、作家などの「系譜」にふれながら、この「のりこえ」について書いている。
系譜として挙げられている作家のひとりは、トルストイである。
『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などで知られるトルストイであるけれど、これらの作品を含め、彼の壮年期の作品を、トルストイは晩年になって否定した。
それから、与謝野晶子は『みだれ髪』など、若い頃の作品を忌み嫌っていったという。
でも、このように書き手じしんによって否定されてきた作品たちは、「古典」として長きにわたって読みつがれているように、読み手の心の奥深くに届くものである。
また、「自己否定・自己批判」のあとの作品たちが、その前の作品たちを超えるようなものであるかというと、そういうことでもない。
見田宗介は、これらに触れながら、次のように「視点」を提示している。
…このことは「自己否定」が必ずしもつねに全身的なものではないということを示す。
しかし同時に、このようにたえず自己を否定してのりこえようとする資質、あるいは精神の緊張がもともとその人にあったからこそ、その「初期」のすぐれた作品もありえたのではなかっただろうか。
…問題はどれだけ深い思想性をもって過去の自分を総括しのりこえ、その後どのような仕事をしているかということにあるだろう。「自己批判」とは最も悲惨な虚偽でもありうるし、最も偉大な跳躍でもありうるきわどい両義性の炎の中で、その人の資質を照らし出す行為である。
見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年
この文章自体、見田宗介の若い日(30歳を超えた頃)の文章であり、それから50年近くを経過した今の地点から振り返るのであれば、この文章が書かれてから数年後に、見田宗介は「偉大な跳躍」へと突き抜けていき、ほんとうに大きな仕事をしている。
とはいえ、それまでの仕事を否定しきるという仕方ではなく、しかし、幾重にものりこえていく仕方によって跳躍している。
ところで、「自己否定」という言葉は、その表層だけではなく、一段降りて、その意味合いをひろいだしておくことが大切であると、ぼくは思う。
単純に「自己を否定する」というように語ると、人によっては、ただただネガティブな仕方で取り込んでしまうかもしれない。
まず第1に、「自己」とは、じぶんの存在すべてということではなく、じぶんのやり方であったりあり方ということである。
別の観点では、ここでの「自己」とは、言葉や観念でつくられている「社会的な自己」の行動や思考ということであるともいえると、思う。
それから第2に、「否定」ということは、やり方やあり方を違った視点で見て変えていくことであるけれど、その基軸は「正しい/正しくない」「良い/悪い」などではない。
そのような基軸で否定・批判していくこともあるだろうけれど、必ずしもそうではないし、それらの基軸をこえるようなところに<跳躍>がみられるようにも思う。
第3に、上述からもわかるように、「自己ー否定」は、必ずしも「じぶんが悪かった」という図式ではない(少なくともそのような図式には限られない)。
むしろ、「じぶん」を客観的にみつめることで「じぶん」を深いところで受け入れながら、「じぶんの軸」においてこれまでのやり方やあり方を深いところで変えていくときに、「きわどい両義性の炎のなか」で、跳躍への跳躍台を準備するものとなると、ぼくは思う。
跳躍台は、跳躍の先に(世間的に)大きな仕事をするかどうかを約束するものではないけれど、それは「じぶん」をきりひらいてゆくための、あるいはこれまでとは異なる世界に生きていくための、その足がかりとなる。
「自己否定」という言葉が表層につくりだすイメージを超えたところに、「じぶんをのりこえる」(あるいは「じぶんがのりこえられる」)ということの本質が現出してくるように思われる。