「ポスト真実」という事象を生みだす「社会的地殻変動」。- 「虚構の時代」(見田宗介)の「フィクション」。 / by Jun Nakajima

「ポスト真実の政治」(post-truth politics)などと言われることがある。「政策の詳細や客観的な事実より個人的心情や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化」というように、Wikepedia(日本語)には書かれている。

これは、Oxford English Dictionaryにおける「post-truth」の定義が採用されるかたちでの説明である。ちなみに、Oxford English Dictionaryの「post-truth」の定義は、「relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public opinion than appeals to emotion and personal belief」とある(※Apple社のmacOSに搭載の辞書より)。

つまり、すでに辞書に掲載されるほどに、「ポスト真実」の事象が見られ、語られ、論が展開されてきている。

たとえば、ハーバード大学で教えるために10ヶ月ほどアメリカに滞在した吉見俊哉(メディア論)が、アメリカに住みながら「アメリカと世界」を捉え返そうとした著書『トランプのアメリカに住む』(岩波新書、2018年)の第一章は、「ポスト真実の地政学」と題して、この「ポスト真実」に焦点をあてている。


それにしても、「ポスト真実」ということばで語られる事象を「政治文化」に限定せず、より巨視的な視点で、ぼくたちが生きる社会のありようから見渡すと、どのように見えるだろうか。いったい、「ポスト真実」のように語られる「世界」とは、どのような世界なのだろうか。

「ポスト真実」がことばになるよりもずっとまえから、見田宗介(社会学者)が語ってきた視点が、この社会の地殻変動を的確につかんでいるように、ぼくは思う。

見田宗介は1945年以降における日本の現代社会史を「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)と「高度成長」を組み合わせながら、つぎのような「三つの時代」に切り分けている(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。


  1. 「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)

  2. 「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)

  3. 「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)


現在は、引き続き「虚構の時代」が続いている。このことは「日本」に限られたものではなく、国々の高度産業化のタイミングによって時期の違いはあれ、虚構の時代に入り、虚構が深まってゆく時代にいるのだということである(と、ぼくは解釈している。「グローバル化」も合わせて考慮しながら。)。

さらに、巨視的な「人類の人口増加率」の観点も導入しながら、人類は「第II期:高度成長」から、次なる「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、2010年に行われた講演の質疑応答に応える仕方で、見田宗介は次のように語った。


…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
 そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年


「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」のだと、見田宗介は社会の状況をとらえている。社会が「安定平衡」に向かう過渡期である現在において、無理やりに「高度成長」を続けようとしてゆくと、そこでは「虚構の時代」にならざるを得ない。

見田宗介のこの視点はきわめて明晰である。

このようにして巨視的に眺めてみると、虚構の時代における構えのひとつが「ポスト真実」であることが見えてくる。「高度成長」を目標として掲げるのであれば、「フィクション」が登場せざるを得ないのだから。「フィクション」は感情にアピールするものである。

人類は、「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」へと至る、大きな社会的地殻変動を経験している。その過渡期を、どのように経験してゆくのか、生きていくのか。社会的地殻変動という過渡期に対応するかたちで、ぼくたち自身がどのように「生きかたのトランジション(移行)」を生きるのか。「ポスト真実」の時代の生きかたは、そこの根底にまで降り立ってゆくことで、いっそう深い問いを、ぼくたちひとりひとりに投げ返してくるのである。