思想家・武道家の内田樹は、内田樹の師匠の師匠である中村天風の「七戒」(怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな、取り越し苦労をするな)にふれながら、そのなかの「取り越し苦労」をとりあげて語っている。
「取り越し苦労」がそんなに危険なものなのかどうか、最初のうちはわからなかったのが、だんだんとわかってきたのだという。
内田 …ある程度年をとってくるとだんだんわかってくるわけですよ。取り越し苦労で、かなり危険なものだということが。これは怒りや嫉妬と同じくらい人間の心身を蝕む有害なものなんです。取り越し苦労って、要するに、時間を先取りすることだから。…未来というのは何が起こるかわからないから未来なのに、それをわかったつもりになって、その上、…マイナスの要素だけを確実に起こることだと思い込んで苦しむわけですから。取り越し苦労って、無限の可能性の中から限定した不幸な選択肢だけをよりのけて、「これが私の未来だ」と思い込むということですよね。…
内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)
たしかに、「ある程度年をとってくるとだんだんわかる」ということがある。年がすべてでは決してないけれど、年が教えてくれるものごともある。「取り越し苦労」の有害性についても、経験の積み重ねが教えてくれるところもある。
ビジネスなどでは最悪の事態を想定して対策を立てることがあるけれども、「取り越し苦労」は、悪い事態の想定がその道をふみはずして、起こる未来の「思い込み」のふかみにはまってしまうところである。
なお、中村天風自身のことば(『中村天風一日一話 元気と勇気がわいてくる哲人の’教え366話』PHP研究所)を見ておくと、「取り越し苦労の害」というところで、「百害あって一利なし」というように取り越し苦労にふれている。取り越し苦労をすればするほどに、心の消極的反映が運命や健康に悪い結果となってあらわれるのだ、と。
では、どうすればよいか。
「方法」はさまざまにあるだろうけれど、まず取っ掛かりとして、「取り越し苦労」の<異様さ>を、客観的にながめてみること。
「無限の可能性の中から限定した不幸な選択肢だけをよりのけて「これが私の未来だ」と思い込む」というように、一歩立ち止まって「取り越し苦労」のあり様をながめてみると、その思い込みの<異様さ>が明るみに出てくるようだ。自分のことでなく、他者の「取り越し苦労」を見つめてみることで、「思い込み」のあり様が見えてくる。
もちろん、頭でその<異様さ>がわかっても、実際に心配の連鎖を断ち切ることは容易ではない(こともある)。
実際に断ち切っていく方法も、いろいろな側面からいろいろに試されるところであるけれども、ここでひとつ挙げておくとすれば、<方法としての思い込み>である。
「取り越し苦労」は「消極的で不幸な思い込み」であるのと同じく、その逆の方向に、「積極的で幸福な思い込み」をつくってしまうことである。方法として意識化されている思い込みだ。それを支えるのは、人が語る「物語」の力である。人には、物語を語る力があるのである。
一度でうまくいくものではないかもしれない。ここでも、時間と経験を味方につけてゆくことである。