それなりの年数を生きてきたなかで、自分の住んできた「場所」をふりかえってみる。より正確には、ここ香港で海をながめて、いろいろとかんがえていたら、世界のいろいろな<海の風景>がぼくのなかで重なってきた。そこでふりかえってみると、確かに、<海の風景>が幾重にも重なっているのを、じぶんの内面に見る。
<海の風景>。ぼくはそこに特別な感情をもちあわせているようだ。
世界のいろいろなところを旅したり、暮らしてきたりしたなかで、それぞれの<海の風景>の記憶が、ぼくのなかで重なっているのを深く感じる。思えば、<海の風景>にぼくは惹かれてきたようでもある。意識的に選んだわけではないのだけれども、ぼくの深いところにある憧憬や願望がかたちになった結果かもしれないと考えてみることもできる。
ぼくの生まれ故郷は浜松で、やはり「浜」に面している。家から、海の「浜」まではだいぶ距離があるのだけれども、どこかで「浜」から吹く風を感じているようなところがあったかもしれないと思う。
その浜松を離れ、大学に通うために移った東京も海に連なっている。
大学1年のときのはじめての海外は、上海であった。それも、横浜からフェリー(鑑真号)にのって、海をわたり、上海に到着した。翌年は、はじめての飛行機による海外であったが、ここ香港に降り立った。香港から広州へと行き、そこから向かったベトナムも、海に連なるところであった。旅の途中の<海の風景>(ニャチャンの砂浜などの風景)がぼくの記憶に残っている。
それからワーキングホリデー制度を利用して住んだニュージーランドも、いつも<海の風景>があり、また海に限らず、<水に祝福された風景>とでもいうべきところであった。
大学を卒業して、最初に赴任した場所は、西アフリカのシエラレオネ。首都フリータウンは海に面している。シエラレオネにつづいて赴任した東ティモールも、海に囲まれた島である。首都ディリは海の香りがただよっている。
それから、ここ香港。「港」と言われるように、暮らしのなかに海がある。毎日、ぼくは海の存在をこの身体に感じながら生きている。
こんなふうにしてこれまでをふりかえってみると、ぼくの周りにはいつも<海の風景>があったこと、そしてそこには特別な感情が生きていることを感じる。でも、そのことを「ことば化」することはむつかしい。<海の風景>に触発される気持ちは、ぼくの深奥からやってくるようなものにも感じる。そんな深奥からひっぱりだしてきて「ことば」にしようとした途端に、気持ちとことばの大きなギャップを感じてしまう。
だから、「ことば」に<あらわそう>とするのではなく、「ことば」が<あらわれる>のを待つのがひとつの仕方である。
そんなことをかんがえていたら、「助け舟」のような存在を、ぼくは憶い起こしはじめる。
例えば、小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)、哲学者・思想家のカール・シュミット(1888-1985)、解剖学者の三木成夫(1925-1987)など。ロレンスも、三木も、カール・シュミットも、この大地に生きながら<海の存在>をまなざしながら思考を深め、ことばを紡いだ。
<海のある風景>に身をおきながら、彼らの「ことば」にふたたび耳をかたむけようと、ぼくは思う。そんな「ことば」たちを導きの糸としてどんなところに行くことができるのか、いまから楽しみである。