村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。
このような、いわゆる「無人島に持って行くとしたら」の質問系は、いろいろな会話のなかで、いろいろなテーマのうちに語られる系だ。とはいっても、いまでは「無人島」物語の世界が若い世代のうちに共有されているのかどうか、ぼくにはわからない。「無人島」というものが若い世代にとって現実感をともなって迎えられるかどうか。いまの時代であれば、「無人島」ではなく、むしろ「宇宙」であろうか。でも宇宙に行くにしても、例えば宇宙飛行士の毛利衛は二度目の宇宙飛行(2000年)のときは全部で24枚のCDを持っていったのだというし(『宇宙から学ぶ ユニバソロジのすすめ』岩波新書)、いまでは音楽はデジタル形式でもあるから、24枚をはるかに超える音楽をデータで持っていける。映画『The Martian』では火星でデジタル音楽を聴くシーンがあったのを、ぼくは憶い起こす。ミニマリストのぼくは今ではCDはいっさい持っていないけれど、もちろんストリーミング(Apple Music)によってありとあらゆる音楽を聴くことができる。「オフライン」であっても、あらかじめスマホにダウンロードしてある音楽を再生すればいいだけだ。いずれにしろ「無人島に持って行くとしたら」の質問系は、無人島(あるいは宇宙)に行くときの「条件」に深入りするのは賢明ではない。スマホは持っていけるのか、スマホのキャパシティはどうかなど、そんなことを言い出したら、せっかくの会話の流れがおかしくなってしまう。あくまでも、とにかく、ひとつを選ぶこと(あるいはふたつなり三つなりと提案された数を選ぶこと)から、この会話ははじまるのである。
ところで、無人島にしろ宇宙にしろ、それらはひとが「移動すること」の先にひろがっている世界である。この視点でみるとき、新型コロナの経験は、移動が制限され、「移動しないこと」へと戻される経験である。大航海時代を経て、近代から現代へとつづいてゆく文明の拡大と進化を高台にのぼって見晴るかすとき、それは(形態はどうであれ)「移動すること」をその核心に装填することですすめられてきたのだということがみてとれる。無人島も宇宙も、文明の拡大と進化のなかで立ち現れた領域である。そこからベクトルはぐいっと転回して、(できるかぎり)「移動しない」世界へと戻されたのである。移動していった先の「ひとつの選択」ではなく、「移動しない」世界での「ひとつの選択」とはいったい、どうなるのだろうかとかんがえてしまう。
新型コロナの状況下で、いろいろな本をぼくは読んでいる。昨年(2019年)は「移動すること」の多い年だったから、あまり多くの本にふれることをしなかったのだけれど、今年は新型コロナの状況下で、またぼくの生活にもいろいろなことがあって、ぼくはさまざまな本たちとの対話(読書)を重ねてきた。
新型コロナの状況がさしだしてくれたのは、例えば(長めの本を読むという)時間の余裕あるいは時空間の再編成ということだけに限られない。より深いところでは、それは、人や社会のありかたにおける、根本的な価値観に対して「裂け目」をつくったのだということができる。人の生き方や働き方はもちろんのこと、社会のしくみ、経済のありよう、それから人と自然の関係性にいたるまで、ありとあらゆるものの「根源」をまなざすところへと、現代を生きる人たちはおしだされたようである。もちろん新型コロナの状況にいたるまえにも、個人やコミュニティなどが、人の生き方や社会のあり方に対して真摯で根源的なまなざしをそそぎ、行動し、変えようとしてきたのだけれど、新型コロナの状況ではその「おしだされかた」が、同時的で、全世界的なひろがりをみせていることが特異だ。つまり、たくさんのひとたちが共有している「共同幻想」に<裂け目>ができたのだ。それは、これまで「共同幻想」によってあまり省みなかったようなことがらに風穴をあけ、「共同幻想」によって支えられていた人の生き方や社会のあり方、あるいは共同幻想自体をいっそう明るみに出すことになった。
そのおしだされたところで人が手にとる本は、意識的にか無意識的にか、近現代の根本的な価値観の裂け目に向かっているような本の系列がひとつであるかもしれない。少なくとも今年のぼくは「古典」と呼ばれる本を手にとることが多い。それはぼくの個人的な関心によるところが大きいのだろうけれど、その個人的な関心は「近現代のあとに来る世界」、近現代をのりこえてゆく、人の生き方、組織や社会のありようをまっすぐにまなざしているから、根本的な価値観が省みられる現在の状況に接合してゆくのは当然のことである。
いろいろな古典的作品があるけれど、ぼくがやはり立ち戻った本の一冊は、真木悠介(社会学者である見田宗介の筆名)の名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)であった。冒頭であげた無人島シリーズのように、今のぼくが「たった一冊の本」だけを手にたずさえるとしたら、真木悠介の『気流の鳴る音 交響するコミューン』を、ぼくは手にとることになる(ちなみに、1977年以後、2003年に「文庫版」がちくま学芸文庫にはいり、この文庫版をもとに2018年に電子書籍化されている。また真木悠介の著作集にも収められている)。今回あらためて精読しているあいだ、ぼくが「たった一冊の本」を選ぶとしたら、やはりこの本だとぼくはおもったのであった。
『気流の鳴る音 交響するコミューン』は、人類学者カルロス・カスタネダの著作を素材としながら、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁として、これらインディオの世界と出会うこと」を目的として書かれている。カスタネダの著作は今ではあまり知られていないかもしれないが、メキシコ北部に住むヤキ族のドン・ファンという老人のもとに弟子入りしてインディアンの生き方を学んでゆく話だ(「メキシコの教え」といえば、ぼくにとってはDon Miguel Ruiz『The Four Agreements』で、それはドン・ファンの「教え」とも重なっている)。カスタネダを通じてこれらのインディオの世界と<出会う>なかで、またそれらの素材に触発される仕方で、真木悠介は「人間の生き方」を論じてゆく。真木悠介が書いているように、素材はカスタネダの著作とインディオの世界だけれども、この本は「ドン・ファンやドン・ヘナロの魅惑的なトリックやヴィジョンやレッスンに仮託した、私自身の表現」である。
この本をぼくの「たった一冊の本」とする理由のひとつは、上で述べたように、「近現代をのりこえてゆく生き方や社会のありよう」をまっすぐに視界におさめていることである。「人間の生き方を発掘したい。とりわけその生き方を充たしている感覚を発掘したい」と、真木悠介は本の冒頭に書きつけている。さらに、『気流の鳴る音』が書かれたときのことを憶い起こしながら、「<近代のあとの時代を構想し、切り開くための比較社会学>という夢の仕事の、荒い最初のモチーフとコンセプトとを伝えるために、カスタネダの最初の四作は魅力的な素材であると思えた」ことを、真木悠介は2003年の「文庫版あとがき」に書いている。<近代のあとの時代の構想>という仕事は、このあと、真木悠介(=見田宗介)の仕事のなかに結実してゆくことになるのだけれど、ここに軸足をおくことは、ほんとうに歓びに充ちた生き方をかんがえてゆくときにはとても大切なことであるとぼくはおもう。
「たった一冊の本」とする理由の二つ目は、<比較社会>という方法である。自然科学とは異なり「社会」というものは研究室での「実験」はできないから、「他の社会」との比較という方法をとらざるを得ない。だから、「社会を比較する」という方法をとることになる。ぼくにとっての「関心」との重なりでいえば、「異文化という経験」だ。1990年半ば、大学に入学後、ぼくは毎年夏休みには「海外」に出ることにしていた。ぼくが入学した大学は外国語を専攻する大学で、大学内にすでに「異文化空間」が生成していたのだけれど、海外に出ることがふつうのこととして日常化していた。もちろん「海外」へのあこがれをもって入学したのでもあるから、ぼくにとって海外に出ることは当然のことであった。1994年の中国本土にはじまり、1995年には香港(返還前)・中国本土・ベトナム、1996年には一年休学してニュージーランドに滞在、1997年にはタイ・ラオス・ミャンマーといった具合に、「異文化」はぼくのなかで経験の地層をつくっていった。そのような経験の地層をつみかさねるなかで、ぼくは新宿の紀伊国屋書店で、『気流の鳴る音』に出逢ったのであった。『気流の鳴る音』との出遭いは、ぼくが見たり感じたりする「風景」を変えてしまうものであり、あるいはぼくが感覚してきたことがらに「言葉」を与えてくれた。その後もぼくの「異文化経験」は地層をつみかさねゆくことになるのだけれど、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港、マレーシアに暮らしてゆくなかで『気流の鳴る音』はいつもぼくと共にあった。シエラレオネに仕事で住むことになったときも、まさに限られた荷物のなかに、ぼくは文庫版の『気流の鳴る音』を入れ、それはぼくの日々を精神面で支えてくれたのである。なお、『気流の鳴る音』はいわゆる「異文化」よりもはるかにひろい射程をもっていることを追記しておきたい(真木悠介の言葉をそのまま使えば「異世界」であり、それは人それぞれの内部の「異世界」をも射程している)。
さらに、『気流の鳴る音』を「たった一冊の本」とする理由の三つ目は、真木悠介がふりかえって書いているように、そこには真木悠介の<荒い最初のモチーフとコンセプト>が「混沌と投げ込まれていること」(「文庫版あとがき」)だ。投げ込まれた「荒いモチーフたち」は、その後の真木悠介=見田宗介の仕事(名著『時間の比較社会学』や『自我の起原』など)のなかで「かたち」をなしていったのだけれど、そのことにふれたあとで、真木悠介はつづけてこう書いている。「これからもなおさまざまなモチーフがこの混沌の内から立ち上がり、わたしの中で、他者たちの中で、そして見知らぬ世代たちの中で、さまざまに呼応しながら、新しくおどろきに充ちた冒険と成熟をくりかえしてゆくことに心を踊らせている」(前掲書)。「荒いモチーフたち」は、人の生き方や社会の変革の「答え」ではなく、『気流の鳴る音』を読む者たちのなかで、「新しくおどろきに充ちた冒険と成熟」を触発してゆく、そのような混沌さが、ぼくには魅力的なのだ。仮に無人島で読むにしても、その混沌のなかから、ぼくは「新しくおどろきに充ちた冒険と成熟」をくりかえしてゆくことができる。20年以上読み続け、いまでも読むたびに触発されているぼくの経験はそのことの証のひとつである。でも、ひとつ加えておかなければいけない。「混沌」といっても、『気流の鳴る音』で展開される「論」それ自体は、きわめて明晰で、みごとというほかない。なんど読んでも、ぼくの心は踊り、心の中では感嘆の声しかでない。
まだまだ「理由」はいっぱいにあげることができるのだけれど、ここでは、「近現代をのりこえてゆく生き方や社会のありよう」への視界、<比較社会>という方法(異文化や異世界へのまなざし)、<荒い最初のモチーフとコンセプト>(答えではなく触発し生成する思想)、という三つのことをあげるにとどめておきたいとおもう。
それにしても、この本との出逢いがなければ、今のじぶんというものはないだろうとおもう。じぶんは存在はしていただろうけれど、今のような仕方でじぶんが生きているということはないだろう。それほど、ぼくにとって大切な書物であり、「生きかた」をほんとうに変えてゆきたいとおもっている人たち、また/あるいは「社会」を変えてゆきたいとおもっている人たちにすすめたい書物である。新型コロナの世界に生きながら、いっそう「生き方」が問われ、「社会のありよう」が問われている。それらの問いに対して、表層だけで応えないこと、この機会に深い地層におりていって、根源的に問い直すこと、そして生きなおすこと。そこに向かって、『気流の鳴る音』はまっすぐなまなざしを届けてくれている。