人は「(世界どこでも)みんな同じ」か「文化によって違う」か、という、問いと思考。- 普遍性と異文化について。 / by Jun Nakajima


人は「(世界どこでも)みんな同じ」か「文化によって違う」か、という、問いを、ぼくたちはじぶんに投げかけたり、あるいは友人や同僚などとの会話の中でたずねたりする。

「人はどこでも、やっぱり人だよ」という意見もあれば、「◯◯人は…だよ」というように文化による違いを強調するような意見もある。

言葉を変えれば、普遍性なのか、異文化的なのか。

さて、どうだろうか。

このような意見が交錯する会話を聞いていたもう一人は、もしかしたら、次のように言うことで、この問いを「解決」しようとするかかもしれない。

「人は、だれもがひとりひとり異なると思う」

人は誰もが同じという普遍性でもなく、文化によって異なるというカテゴリーをあてはめるのでもなく、「個人」に焦点をあてて「みんなが違う」という方向性に解決の方向性を見つけてゆく。

この意見を聞いて考え直して、さて、どうだろうか。

 

上記のような問いはいろいろな文脈において、ぼくたちがそれら問いを発したり、議論したり、意見したりしている。

日々のちょっとした会話から、仕事から、学術的なところに至るまで、いろいろにである。

それら問いにたいして、大抵は「漠然とした考え・思考」をもっていたりするのだけれど、それはあくまでも「漠然としたもの」である。

問いを発したり、あるいは答えたりする人それぞれの信念や論理、またそれぞれの経験にもとづき、問いや回答はいろいろである。

 

ぼくからは「視点」だけにしぼって、そのいくつかを提示しておきたい。

 

(1)「平面」だけで考えないこと

ぼくたちの思考は、平面的にまた往々にして二分法的(…か…か)に考えてしまうようなところがある。

世界の人たちはみんなやっぱり人として同じなのか、文化ごとに違うのか、というように。

でも、この二つは、平面的に考えるものではなくて、「重層的」なものである。

どちらも、人それぞれに、重層的に存在しているものである。

 

「現代の人間」ということを見ていくときに、社会学者の見田宗介は、「現代人間の5層構造」ということを書いている(参照:見田宗介『社会学入門』岩波新書)。

【現代人間の5層構造】

④ 現代性
③ 近代性
② 文明性
① 人間性
⓪ 生命性

これら「5層構造」にふれて、見田宗介は読者に次のように語りかけてくる。

 

…人間をその切り離された先端部分のみにおいて見ることをやめること、現代の人間の中にこの五つの層が、さまざまに異なる比重や、顕勢/潜勢の組み合わせをもって、<共時的>に生きつづけているということを把握しておくことが、具体的な現代人間のさまざまな事実を分析し、理解するということの上でも、また、望ましい未来の方向を構想するということの上でも、決定的である。

見田宗介『社会学入門』岩波新書

 

この理解が次の点につながってくる。

 

(2)「みんなが違う」という見方

「現代人間の5層構造」だけを見ても、見田宗介が教えてくれるように、これら五つの層が「さまざまに異なる比重や、顕勢/潜勢の組み合わせをもって、<共時的>に生きつづけている」ことからくる、無限の発現のされ方がありうる。

比重や組み合わせは無限的であるからだ。

ちなみに、「みんなが違う」という見方と「みんなが同じ」という見方は、「平等」ということを考えるときの二つの考え方である。

「平等」をおいもとめてゆくときに、わかりやすいところでは「みんなが同じ」という仕方でおいもとめてゆくことができる。

それは、ある意味とある文脈において、日本的な仕方であった。

しかし、魅力的なのは、「みんなが違う」という方向につきぬけてゆく仕方である。

最近使われる言葉で言えば、「多様性 diversity」の方向につきぬけてゆく仕方である。

ただし、今現在の「多様性 diversity」は、「カテゴリー」を増やしていくところにとどまっているのだけれど。

 

(3)異文化を視る視点

「みんなが違う」という見方をしながらも、「異文化」が人それぞれに顕勢/潜勢する<層>はある。

社会や法やモラルや宗教などの文化の構造とコードが、そこにいる人たちをある「型」へと導いてゆくようなところがある。

それらの比重や、顕勢/潜勢の組み合わせは、人さまざまだけれど、やはり文化的な現れは、場面場面でおきてくるのだ。

さらには、時代や時代の価値観などの異なる「層」も組み合わさるため、より複雑にみえたり、実際に複雑だったりする。

海外に長くいながら、やはり「日本的な文化の層」がぼくにはあることを感じてきた。

でも、それは、あくまでもひとつの層である。

 

いくつかの視点を提示したけれど、まずは、普遍か文化かというように「平面的に見ること」から、<重層的に見ること>へ移行すること。

現在は、Virtual RealityやAugumented Realityなどの技術と視界がひらけてきている一方で、<重層的に見ること>は、世界が<ほんとうのグローバル社会>になっていく上で、ぼくたちが<Reality>を見るために身につけておく大切な<視力>であるように、ぼくは思う。