香港で、朝日が差しこむ海岸通りの「人の交差点」にて思うこと。- 香港の早朝の風景。 / by Jun Nakajima

早朝のすきとおるような空気があたり
を包み、朝日が静かに差しこんでくる。

ここのところ、運動する時間を早朝に
変えている。
朝日が差しこんでくる海岸通りを歩き、
そして走る。

通りには、すでにいろいろな人たちが
くりだしている。

汗をいっぱいにかいて走っている人たち。
音楽やラジオを鳴らしながら行き来する
人たち。
太極拳(Tai chi)で身体を動かす人たち。
ロードバイクで滑走する人たち。
運動を始めたばかりという姿の人たち。

通りは朝日が差しこむ「人の交差点」だ。
いろいろな人たちが、交差していく。


そんな早朝の風景に惹かれながら、
人がすれちがう波風の中で、ぼくは
次のようなことに思いをめぐらしている。

 

(1)交差点ですれちがう人たち

すれちがう人たちは、毎朝、同じ人たち
であったりする。

お互いに知り合いでもなんでもないけれ
ど(時に朝の挨拶をすることはある)、
そこには「何か」が共有されているよう
なところがある。
それはそれで、すばらしいことである。

共有される「何か」は、いろいろなもの
であろう。
例えば、「何かに向かう肯定性」のよう
なものであったりする。

ある調査では、香港人は、平均よりも
多く身体的活動をしているという。
ぼくの「実感値」としても、ここ10年程
の間に、「走る人」はだいぶ増えたよう
に思う。

「人の交差点」で、ぼくたちは、
いろいろな人たちとすれちがっている。
それぞれに、いろいろな人生を歩き、
走りながら。

 

(2)朝のすきとおる空気

午後に走ることは、それまでの頭脳的な
疲れを癒し、散らばった情報やアイデア
を吟味・再編成・再構築していくような
ところがあった。

朝は、すっきりした頭脳の状態である。
考え事がなくはないけれど、比較的、
すっきりとして何も入っていない「器」
から、ポジティブな何かが湧き上がる
ようなところがある。

朝のすきとおる空気が全身を包み、
心身を浄化するような作用を感じる
ことができる。
それは、午後の空気には、感じられない
ものである。

 

(3)心の余裕

運動の時間を朝に変えてみて、「余裕」
ができた。
活動時間はそんなに変わるわけでは
ないけれど、心の余裕がでるようだ。

「時間のマジック」も作用する。
朝に活動することで、同じ時間でも、
その日がより長く感じられる。
時間の感じ方は、主観的なものである。

「時間に追われる」のではなく、
「時間を追っていく」感覚をもつこと
がしやすくなる。

以前、香港マラソンに参加するための
トレーニングとして早朝に運動をして
いたときのことを思い出す。

 

「朝の効用」は、多くの人たちが
語ってきたところである。
ここ、香港でも、朝の効用は大きいと
ぼくは思う。
香港社会の「(物事が進む)スピード
の速さ」は、心地よいこともあるけれ
ど、それなりのストレスを生んでいく。
「速さ」は、人と自然、人と人との
関係をも規定していく。
朝の時間は、幾分か、それらを相対化
してくれる。

しかし、朝は「効用」(何かのため)
という思考にとどまるものではない。

効用にけっして還元できないような、
それ自体が祝福であるような風景が
香港の朝にはひろがっている。