ぼくは2003年から2007年まで
東ティモールに住み、国際NGOの
駐在員として、コーヒーの
プロジェクトにかかわってきた。
そのプロジェクトで賭けられた
ものは、「コーヒーの品質」で
あった。
そこに賭けられた「思い」など
を、ここでは書こうと思う。
コーヒーの「美味しさ」は、
都会に住む人たちにとっては、
・コーヒー豆の焙煎(具合)
・飲み方(カプチーノ、ラテ等)
・トッピング
・カフェの雰囲気
などかもしれない。
しかし、そもそものところでは
「コーヒー豆」そのものの品質が、
決め手でもある。
豆の品質が悪くても、
焙煎の仕方、ミルク、トッピング、
カフェの雰囲気などで、ある程度、
品質はカバーされてしまう。
香港で飲むコーヒーは、
そのような状況に置かれている。
最近でこそ、少しづつ豆の品質に
こだわりが出てきているところも
あるが、まだまだだ。
(香港のコーヒー事情については
以前ブログで概要を書いた。)
それは例えば料理とも同じである。
素材の品質の低さは、味付けや盛り
付けなどによって、ある程度まで
カバーされてしまう。
あらゆる料理は素材が大切である
ことと同じに、コーヒー豆そのもの
の「品質」が美味しさをつくる。
ぼくが東ティモールに住み、
国際NGOの駐在員として関わった
コーヒーのプロジェクトは、
「コーヒーの品質」、
そしてその先にある「幸せ」に賭け
られたプロジェクトであった。
1)背景
インドネシアからの独立を果たした
東ティモール。
天然資源を除くと、輸出品としては
コーヒーが大半を占めるほどであっ
た。
ただし、精製され輸出されるコーヒ
ーの品質は低く、比較的低い価格で
売られていく。
良質のアラビカ種がより自然に残っ
ているけれども、
世界で50カ国以上がコーヒー生産
をしている中で、
「品質も価格も低い」コーヒーは
競争力がない。
これを「転回」させるのは、
「コーヒーの高品質化」である。
もともと良質なのだから、
「東ティモールコーヒー」として
世界でも戦っていける。
でも、そのためには、
「やること」がたくさんある。
2)「品質を上げる」ために。
「品質を上げる」ために、大きく
二つのことを行った。
①「コーヒー精製」(および輸出
までのプロセス)を、コーヒー生産
者たちが独自に行うこと。
②「コーヒー精製技術」を上げる
こと。
①は、それまで、コーヒー生産者
たちは、主に「コーヒーのチェリー」
(コーヒーの木から採取したばかり
の果肉がついた状態のもの)を
業者に販売していた。
つまり、独自に精製をせず、その日
に採取したチェリーを袋につめて
その状態で売っていたのだ。
そこで起きる問題は大きく2つある。
第一に、
販売された(業者が買い取った)
チェリーの中に、未完熟のものや、
熟しすぎたものが混じってしまって
いた。
第二に、
買い取った業者はそのチェリーを
機械が設置された精製所に運び、
果肉をとり、豆を乾燥させると
いった精製プロセスにかけていく。
しかし、往々にして、そのプロセス
の管理が行き届いておらず、品質が
下がってしまう。
それから、②「コーヒー精製技術」
については、すでにコーヒーの一部
を独自に精製して他業者に売っていた
コーヒー生産者もいたが、技術力およ
び精製する機材の不足などが問題で、
結果として品質の低いコーヒーになっ
てしまっていた。
だから、これら①と②を実践すること
で、品質を上げ、東ティモールコーヒ
ーのブランド力もあがり、そして
何よりも、高く売れたコーヒーは、
コーヒー生産者たちにより大きな収入
をもたらしてくれる。
2003年当時の東ティモールの一人
当たりGDPは、年間で見て、400US
ドル台であったから、何としてでも
「道」を見つけたいところであった。
3)「幸せ」をつなげること
プロジェクトにかかわった人たち
皆が、ほんとうに注力した。
コーヒー生産者たち、サポートをした
NGOチーム、コーヒー専門家の方々、
などなど。
皆が、品質に賭け、その先にある
「幸せ」を確かに信じていた
(また徐々に信じていった)のだと、
ぼくは思う。
コーヒーの品質を通じて、
そこでは「幸せ」がつなげられて
いったのだ。
「美味しいコーヒーを飲む幸せ」と
「コーヒーが高い価格で売れる幸せ」。
途上国の「貧しい人たち」を助ける
ために、ということで飲むコーヒーで
はなく、ほんとうに美味しいコーヒー
を飲む幸せ。
高品質のコーヒーを誇りをもって
つくり、高い価格で売ることができ、
収入が増え、生活改善につながる幸せ。
それは、「自己犠牲」ではない仕方で、
関係をつくっていくこと。
また、ビジネス的に言えば、
「Win-Win」の関係を築くことであった。
別の見方では、
「消費者と生産者」との関係(の豊かさ)
をつくると同時に、
「先進国と途上国」との関係(の豊かさ)
をつくる、ことであった。
たとえ、それが世界的には、とても小さな
規模での実践であったとしても。
さらには、
「人と人との関係」、そして
「人と自然の関係」をつくってきた。
自然に近い形でコーヒーの木たちが
実りを与えてくれる環境であった。
それが、使い古された言葉でいえば
「持続可能な(sustainable)」
ということである。
しかし、内実をともなった言葉である。
コーヒーの品質に賭けられた
「持続可能性」は、
ぼくが東ティモールを去った2007年
以降も、プロジェクト・事業の発展を
もたらしてきたとのことである。
今では、首都ディリに「カフェ」を
もつまでになっているという。
早朝に、香港の海岸通りを歩いて
いたら、東ティモール人の元同僚から
メッセージがぼくに届く。
やりとりの末に、
「また東ティモールに来てください」
と、彼はメッセージをぼくに届けて
くれる。
ぼくは将来、再び東ティモールを訪れ
るときのことを想像する。
2007年2月、ぼくが3年半の滞在を
終えて東ティモールを去るとき、
数百人もの村の人たちとスタッフが
集まり、笑顔で、ぼくを送り出して
くれた。
その人たちに、ぼくはどんな姿で、
どんな笑顔で、再び会うことができる
だろうか。
みんなの成長に負けない成長を、
ぼくはしてきただろうか。
そんなことを思いながら、ぼくは
東ティモールに「新たな思い」を馳せる。