2006年、東ティモールの首都ディリ。
ぼくはコーヒープロジェクトのため
東ティモールに住んで3年程が経って
いた時期のこと。
2002年の独立後、平和を取り戻して
いた東ティモールの街に、また銃声
が響く。
ただし、事態はまだ局所的であった。
後日、当時の東ティモール政府が
事態を収拾できなくなり、他国に
支援を要請し、オーストラリア軍など
が上陸する前のことだ。
日本よりも平和ではないかと思うほど
の東ティモールであったが、
ここ数ヶ月ほど、治安が悪くなり始め
ていたころであった。
首都ディリ郊外。
コーヒー生産地であるエルメラ県へ
と続いていく道が封鎖されていた。
その日、コーヒー生産地から降りて
くるスタッフたちが、封鎖の場所で、
身動きがとれなくなっていた。
首都ディリの事務所にいたぼくは、
スタッフたちと連絡を取り合う。
銃弾が飛んでいる状況だという。
もちろん安全を最優先にして動く
ことを確認しあう。
それから数時間ほどかかっただろう
か、スタッフたちは局所の危険を
避け、無事に事務所に到着した。
安堵と共に、しかし安全対策を適切
に、すみやかに進めていく。
事態はひとまず落ち着きを取り戻し
たようであった。
それから、ようやく一段落し、
ぼくは、リビングルームに腰を下ろ
した。
どっと、心情的な疲れが出てくる。
ぼくの心は「荒涼とした風景」を
抱えているようであった。
普段はあまり感じない「ホームシッ
ク」的な感情もわきあがっている
ことに気づく。
ぼくは、気分を変えるため、
日本のDVDを見ることにした。
同僚が以前置いていってくれていた
DVDの中から、
『踊る大走査線 THE MOVIE』
を、ぼくは選んだ。
ぼくの記憶では「THE MOVIE2
レインボーブリッジを封鎖せよ!」
である。
日本の東京の風景が映像に出てくる。
そこで、物語が進行していく。
ぼくは、映像を見ながら、物語を
追いながら、なぜか、心が温まって
いくのを感じることになった。
銃弾が飛んだ夜に、
ぼくの「荒涼とした心の風景」に、
「暖かい風景」が灯された。
だから、ぼくは、今でも、
『踊る大捜査線』に感謝している。
そして「物語の力」を感じずには
いられない。
この世界から「物語」がなくなった
ら、なにもなくなってしまうのでは
ないかと思うほどだ。
後日、ぼくは、首都ディリの繁華街
(人はいなかったけれど)で展開さ
れる銃撃戦の只中(眼の前)に、
置かれる。
あの「荒涼とした風景」が、
再び、ぼくの心をむしばんでいく。
東ティモールを退避し、日本に戻っ
ても、銃弾の音と、その「荒涼と
した風景」が、ぼくの頭と心に
棲みつくことになった。
そんな折、
ぼくは、仕事帰りに、東京の渋谷に
ある本屋さんに、毎晩のように立ち
寄ることになった。
哲学者のミッシェル・フーコーが、
多くの書物が並ぶ図書館を、
人間の幻想がすみつく場所と感じて
いたことにつながるように、
ぼくにとっては、本屋さんは、
人間が創り出した「物語たち」が、
いっぱいに溢れている空間である。
その空間が、当時のぼくを、深い
ところで癒してくれたのだ。
だから、ぼくは今日も、「物語」を
読み、「物語」を観て、「物語」を
聴く。
そして、自らも、「希望の物語」を
抱き、そして書きたいと思う。